4000人以上の信徒がこの大聖堂に登録されている。ロシアからメルボルンに移住した人々の他、ギリシア、マケドニア、セルビア、ブルガリア系の正教徒もここへ礼拝に訪れる。
ロシア栄光記念教会はライプツィヒ近郊の諸国民戦争(1813年)でドイツ解放のために戦った約13万人のロシア兵を記念して1913年に建立された。
1929年に建てられたこの修道院は、アメリカで最大かつ最古のロシア正教修道院だ。西部におけるロシア正教会の主要な精神的中心地の一つと考えられており、至聖三者正教神学校、出版所、イコン制作体験教室、博物館がある。
この大聖堂は1923年の関東大震災で深刻な被害を受けた。鐘楼と西門が倒壊し、続く火災で木造の構造物は焼失、鐘と銀器が熱で溶けた。修復・改修作業は70年以上をかけてゆっくりと行われ、主要な復元工事が完了したのは1990年代初めのことだった。
この教会は1881年にロシア皇后マリア・アレクサンドロヴナを記念して建てられた。建設費用は皇后の子女、つまりアレクサンドル3世と4人の弟、1人の妹(名は母と同じくマリア・アレクサンドロヴナ)が完全に負担した。
フランス南部の都市ニースの主な見どころの一つである聖ニコラス・ロシア正教大聖堂は、西欧で最大の東方正教大聖堂と考えられている。
ハリウッドにある大聖堂は、現地のロシア人だけでなく、映画の撮影でこの街に来たロシア人俳優の多くも礼拝に訪れる。
ロシア皇帝ニコライ2世はドイツをよく訪れたが、そのたびに家族とこの教会を訪れることを非常に好んでいた。現在、ここにはヨーロッパ(元ロシア帝国領だった地域を除く)最大のロシア正教会墓地がある。
1912年に建立されて以来、この教会はコンスタンティノープル総主教庁とロシア正教会との不和の種となってきた。2019年1月、この救世主ハリストス教会は後者に管理されることが決まった。
1994年に建立されたこの木造教会は、モスクワから約200キロメートル離れたスーズダリの顕栄教会にそっくりだ。カラマツでできており、高さは約27メートル、8つの丸屋根を持ち、そのいくつかは金箔で覆われている。
この大聖堂を建てるという案は、キエフ・ルーシにおけるキリスト教受容950周年に当たる1938年に出された。しかし建設が始まったのは1948年で、しかも完成までに40年近くを要した。
この教会には、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがしばしば訪れた。彼はロシアのイコン画や讃美歌に関心を示していた。パーヴェル1世の娘でザクセン・ヴァイマル・アイゼナハ公カール・フリードリヒの妻であったロシア大公女マリア・パーヴロヴナがこの教会の墓地に埋葬されている。
1945年4月に赤軍がウィーンを解放した後、赤軍はこの大聖堂に戦利品の1200キログラムの銅を寄進した。後にこの銅を使ってこの大聖堂で最も大きな鐘が作られた。
1925年から1936年までの11年間、この教会は亡命中のギリシア王族の一時的な墓地として使用された。ギリシアのコンスタンティノス1世とその母であるロシア大公女オリガ・コンスタンティノヴナ、妻である王妃ソフィア・ティス・プロシアスが眠っている。
世界最大のロシア正教大聖堂の一つであり、アメリカ西海岸のロシア正教会の中心地である。しばしば重要な宗教行事や高位聖職者の会合がここで開かれる。
この教会はロシア史およびロシア文化史上の多くの有名人と結び付いている。教区民の中には、集産主義的無政府主義の創始者であるミハイル・バクーニンや、ロシア人作家のイワン・ツルゲーネフがいた。1900年代の有名なロシア人政治家、ピョートル・ストルイピンと、ドストエフスキーの次女であるリュボーフィ・ドストエフスカヤがここで洗礼を受けた。
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