ピョートル1世のコテージからゴルバチョフの豪華なダーチャまで:写真で見るロシアの指導者らの住まい

Legion Media
 ロシアの支配者らは常に派手な暮らしをしてきた。ツァーリたちの宮殿の豪華絢爛ぶりが最高潮に達したのは18世紀だが、この贅沢な前例には、ソビエトの指導者らさえ抗えなかった。

ピョートル大帝の夏の宮殿、サンクトペテルブルク

夏の宮殿の外部。

建設年:1710-1714

ゆかりのある人物:ピョートル1世

夏の宮殿の内装。絵画「ピョートル1世の夏の宮殿」。アンドレイ・マルテイノフ作。1809年。

 サンクトペテルブルクのどの建物が建つより前に、ネヴァ川の岸には丸太小屋があった。かのピョートル1世も、質素な住まいと無縁ではなかったのである。皇帝は1712年に小屋から引っ越したが、新しい「宮殿」はたった2階建てだった。

エカテリーナ宮殿、ツァールスコエ・セロー

エカテリーナ宮殿の外部。

建設年:1717-1724、再建:1752-1756

ゆかりのある人物:エカテリーナ1世、女帝エリザヴェータ、エカテリーナ2世

エカテリーナ宮殿の内装。

 今度は宮殿らしく見える。

 現在プーシキン(旧称ツァールスコエ・セロー。サンクトペテルブルクから30キロメートル南)に立つ宮殿は、ピョートルと2番目の妻エカテリーナとの間に生まれた女帝エリザヴェータの治世に建てられた。全長325メートルの巨大な宮殿には、史上稀に見る贅沢な品々があった。黄金をふんだんに使った舞踏場、100平方メートルの肖像の間、絹で覆われた中国風の応接間、巨大な礼拝堂、金箔を貼った像は、この宮殿の特徴のほんの一部に過ぎない。

 エカテリーナ2世(大帝)はエリザヴェータが好んだ派手なロココ様式を、新古典主義様式とギリシア復興様式に変更した。

冬宮、サンクトペテルブルク

冬宮の外部。

建設:1757-1762

ゆかりのある人物:公式には以後の全ロシア皇帝

冬宮の内装。

 現在の宮殿は、時の皇帝エリザヴェータの承認を得て宮殿を改築したフランチェスコ・バルトロメオ・ラストレッリの設計によるものだ。ロココ様式を色濃く反映した緑と白の外装やイオニア式の列柱、欄干は特に愛され、1837年の火災で宮殿の大半が焼けた際、ニコライ1世は外観を完全に復元するよう命じた。

ツァリツィノ宮殿、モスクワ

ツァリツィノ宮殿

建設年:1786-1796

ゆかりのある人物:エカテリーナ2世

ツァリツィノ宮殿

 エカテリーナのために9年の歳月をかけてこの場所に建設された最初の宮殿は、部屋が暗すぎると女帝が断じたため取り壊された。新しい館もまたパーヴェル1世に放棄され、2007年にようやく完成した。

 エカテリーナ大帝のモスクワの住まいは、今ではモスクワ南部の郊外の牧歌的な公園となっている。

アレクサンドル宮殿、ツァールスコエ・セロー

アレクサンドル宮殿の外部。

建設年:1792-1796

ゆかりのある人物:アレクサンドル1世、ニコライ1世、アレクサンドル3世、ニコライ2世

アレクサンドル宮殿の内装。

 ツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿に隣接する豪邸は、19世紀を通してロマノフ家の夏の屋敷として使用された(実際ニコライ2世に至っては、一家で常にここで暮らしていた)。

ミハイロフスキー城、サンクトペテルブルク

ミハイロフスキー城の外部。

建設:1797-1801

ゆかりのある人物:パーヴェル1世

ミハイロフスキー城の内装。

 ミハイロフスキー城は、ロシアで最も不運な支配者の住まいだ。エカテリーナ2世の息子である彼は、皇帝に即位するまで15年間を費やしてこの見事な屋敷を設計した。城は1801年についに完成したが、宮廷で起きたクーデターにより、皇帝パーヴェルはここでの暮らしが始まってたった40日で暗殺された。

リヴァディア宮殿、クリミア

リヴァディア宮殿の外部。

建設年:1861年、再建年:1909-1911

ゆかりのある人物:アレクサンドル2世、アレクサンドル3世、ニコライ2世

リヴァディア宮殿の内装。

 クリミアにある極度に高価なダーチャは、元あった宮殿をニコライ2世が建て替えたものだ。だがこの建物から窺えるロマノフ家の当時の繁栄ぶりも、皇帝一家を悲劇から救うことにはつながらなかった。面白いことに、ここは1945年2月にヤルタ会談が行われた場所でもある。

クレムリンの元老院、モスクワ

クレムリンにあったレーニンの住宅の外部(元老院)。

建設:1776-1787

ゆかりのある人物:ウラジーミル・レーニン

クレムリンにあったレーニンのアパート。内装。

 レーニンの悪名高い書斎と居室とがあるのが、元老院宮殿の3階だ。ロシア内戦の間、彼はここで暮らし、働いた。ボリシェヴィキの指導者の居所は、記念館として1994年までクレムリンに保存されていた。

ゴールキ邸宅、ゴールキ・レーニンスキエ(モスクワ)

外から見たゴールキ邸宅。

建設年:19世紀初頭

ゆかりのある人物:ウラジーミル・レーニン

ゴールキ邸宅の内装。

 ボリシェヴィキの指導者が1923年5月に病に伏すと、この19世紀の貴族屋敷が彼の終の棲家となった。邸宅の豪華な新古典主義的内装が気に入ったレーニンは、元々この建物に備わっていた家具を一切取り替えないよう助力者らに指示したとされる。

クンツェヴォのダーチャ、モスクワ

クンツェヴォのダーチャの外部。

建設年:1933-1934

ゆかりのある人物:ヨシフ・スターリン

クンツェヴォのダーチャの内装。

 騒がしいモスクワの市街地から離れることを決めた共産党書記長は、1933年に印象的な7室の個人邸宅を街の西部に建設するよう指示した。ここでスターリンは最期の20年間を過ごした。毛沢東やウィンストン・チャーチルをここに招いたことは有名だ。実は、この住まいにはさまざまな庭園や果樹園、スポーツ施設が備わっていたが、スターリンは滅多に書斎から出なかったと言われる。

コスイギン通32番、モスクワ

コスイギン通32番

建設年:1955

ゆかりのある人物:ニキータ・フルシチョフ

 書記長就任前のフルシチョフは、スターリンの死後間もなくコスイギン通に快適な住まいを確保した。レーニン丘(現在は雀ヶ丘)を見下ろす新しい邸宅は、大理石や高価な木材で装飾され、鋼鉄の門で囲われていた。

クトゥゾフスキー大通26番、モスクワ

クトゥゾフスキー大通

建設年:1950年代後半

ゆかりのある人物:レオニード・ブレジネフ、ユーリー・アンドロポフ

 利便性を考え、ブレジネフの54平方メートルの居所は、KGB議長で後に書記長となるアンドロポフの居所のすぐ階下にあった。この部屋は、2003年に62万ドル(推定市場価格の倍の額)で売り出され、ロシアのメディアを騒がせた。

ザヴィドヴォのダーチャ、トヴェリ州

ザヴィドヴォのダーチャ。ソビエト連邦共産党書記長のレオニード・ブレジネフ、ソ連邦元帥アンドレイ・グレチコ、ニコライ・クルイロフ、ロジオン・マリノフスキー(左から右)がチェスをしている。

建設年:1960年代前半

ゆかりのある人物:レオニード・ブレジネフ

 ブレジネフが気に入って頻繁に通ったダーチャは、モスクワの約130キロメートル北西に位置するザヴィドヴォ国立公園の中にある。主に狩猟を目的として作られたブレジネフの2階建てのコテージは、大理石の床や個人用映画室、ビリヤード室、友人や政界の大物を泊めるための12もの豪華な寝室を備えていた。

グラナトヌイ横町10番、モスクワ

グラナトヌイ横町10番、外部。

建設年:1978

ゆかりのある人物:レオニード・ブレジネフ、ミハイル・ゴルバチョフ

 モスクワで流行りの総主教池に近いこのゆとりのある居住区画は、繁華街の家としてレオニード・ブレジネフに使用され、1984年から85年までのわずかな期間ゴルバチョフもここで暮らした。よく見ると6階の窓が他の階のものより少し長い。これはこの階に書記長ら専用の空間があったことを意味している。

コスイギン通10番、モスクワ

コスイギン通10番

建設年:1986

ゆかりのある人物:ミハイル・ゴルバチョフ

 かつてフルシチョフが暮らした邸宅からそう遠くないところに、4階建て14室のミハイル・ゴルバチョフの旧宅がある。この建物は後に作曲家のイーゴリ・クルトイに推定1500万ドルで購入された。

ダーチャ「ザリャー」、フォロス(クリミア)

ダーチャ「ザリャー」、フォロス。外部。

建設年:1986-1988

ゆかりのある人物:ミハイル・ゴルバチョフ

ダーチャ「ザリャー」、フォロス。内装。

 党の特権を糾弾する運動を精力的に行っていたにもかかわらず、ソビエト最後の指導者もまた、黒海沿岸に2000万ドルもする3階建ての別荘を建てることをためらわなかった。プラウダ紙が1992年に行った調査では、ダーチャにプライベートビーチ、屋根の上の日光浴室、大理石の床、映画室、ダンスフロア、テニスコート、自動散水式の桃園があることが明らかとなった。

 特筆すべきは、このダーチャが1991年8月にKGBと共産党の強硬派が起こしたクーデター未遂事件の際に、ゴルバチョフが3日間軟禁された場所であるということだ。

 

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