1. ロゴーシスコエ墓地のキリスト教会と鐘楼の復活
1910年に造られたこの教会と鐘楼は、ロゴーシスコエの古儀式派の人たちのためのものだった。教会は1934年にコミュニストらによって閉鎖され、第二次世界大戦の間は空襲に耐え抜いた。2009年から2014年にかけての修復を経て、この建物は古正教会として、再び機能している。
2. コロプコフ邸、ピャートニツカヤ通り33-35
この大邸宅は、もともとは1866年に建設されたのだが、レフ・ケークシェフ(モスクワ・アールヌーヴォー建築の代表の1人)によって、1894-1896年に完全に再建された。ソビエト時代には、芸術歴史研究所となり、その後、タンザニア大使館が置かれた。そのため、屋敷は良い状態で保存されていた。
だが、2013年から2015年にかけて修復が行われ、もともとの薄紫色に戻されている。
3. ザイコノスパスキー修道院の鐘楼、ニコーリスカヤ通り7-9
ザイコノスパスキー修道院は1600年に建てられた。1630年以降は、ここでラテン語とギリシア語が教えられるようになり、ロシアにおける学術の中心となった。17世紀後半には、ロシアで最初の高等教育機関であるスラブ・ギリシア・ラテンアカデミーが、ここに開設された。鐘楼は、1899年から1900年に建てられたが、その後、1924年に一部を破壊され、2010年から2014年かけてついに復旧された。
4. ガガーリン公の屋敷(新エカテリーナ病院)、ストラスノイ並木道15/19
18世紀後半にガガーリン公爵家のために建てられたこの屋敷は、モスクワ英国クラブに場所を提供していた。クラブは後に、トヴェルスカヤ通りのラズモフスキー宮殿に移っている。1806年には、この屋敷で、ホラブルムの闘いに勝利したバグラチオン将軍を主賓とする夕食会が催された。この夕食会は、レフ・トルストイの『戦争と平和』にも描かれている。1830年に、この建物は国立病院となり、2009年まで続いた。修復工事は、2013年から2015年に終了し、現在は、モスクワ市議会となっている。
5. 聖マクシム教会、ワルワールカ通り4
著名な聖マキシムに敬意を表して名付けられたこの教会は、1698に建設され、1827年から1829年に鐘楼が建てられた。1930年代にはコミュニストらによって閉鎖となり、破壊されたが、1994年に再開された。
修復作業は、2014年から2015年にかけて行われた。
6. 英国のクラブの門塀上のライオン、トヴェルスカヤ通り31
レフ・トルストイとアレクサンドル・プーシキンを含む19世紀の有名なロシア人たちが多く出入りしていたモスクワ英国クラブが、トヴェルスカヤ通りのラズモフスキー伯爵の宮殿で行われるようになったのは1831年。その門塀上のライオンは、プーシキンの有名な韻文小説『エヴゲーニー・オネーギン』でも言及さられている。2015年に修復が完了した。
7. プスコフ丘に聖ゲオルギー教会、ワルワールカ通り12
この教会は、1639年から1657年の間に建てられた。1818年には、疑似ゴシック様式の鐘楼と食堂が増築されている。2015年に修復が完了した。
8. カザン駅、コムソモール広場2
もともと1864年に造られたこの駅は、1913年から1940年の長期にわたって改築が行われている。当時、モスクワの指導的な建築家だったアレクセイ・シューセフの設計に基づいて作られている。修復は、2013年から2016年に行われた。
9. 生神女マリア「殉教者を探す人」イコン教会、ザツェーパ通り41
この教会は、女子商業専門学校の礼拝堂として1904年から1905年に建てられた。この学校は、モスクワ商業研究所によって運営されていたものだ。1929年に教会は、プレハーノフ記念国民経済モスクワ研究所に引き渡された。2002年に再び礼拝のために開かれ、2015年から2016年に修復作業が行われた。