ぜひお勧めしたいのが「ピーター・アクア(水の都ペテルブルグ)」と呼ばれる模型博物館。ペテルブルグの街の全貌をそこに暮らす人々や動物の動きまで模型で見事に再現した博物館で、大人にも子供にも興味深いだろう。
Lori/Legion Media撮影 ツァールスコエ・セロー(皇帝村)のエカテリーナ公園。そこは旅行者も多いが、もしドイツ公女出身のエカテリーナ2世の若き日の生活を知りたいなら、宮殿公園アンサンブル「オラニエンバウム」をお勧めする。ロココ風様式で建てられた唯一の皇帝の邸宅で、今も当初の姿を保ち、第二次世界大戦の被害をほとんど受けなかった。
Jean-Pierre Dalbéra撮影
宮殿広場、元老院広場、芸術広場など、市内の広場。著名なロシア詩人プーシキンは、1920‐30年代にイタリアの建築家カルル・ロッシがこれらの広場を建造するのを目撃したはずだ。昔の菓子店「ヴォルフ・イ・ベランジェ」(ネフスキー大通り18番地。現在は「リテラトゥールノエ・カフェ(文学カフェ)」というレストラン)に立ち寄るとよい。プーシキンが決闘介添人のダンザスに出会ったのが、1837年1月27日、まさしくこの店だった。ここから彼らは決闘の場所に赴き、そこで詩人は致命傷を負うことになる。
ドミートリー・ツィレンシコフ撮影 グリボエードフ運河の北岸の、センナヤ広場近くにある一角を探索してみるとよい。その界隈はしばしば「ドストエフスキーのペテルブルグ」と呼ばれ、そこには長編『罪と罰』の主人公ロジオン・ラスコーリニコフが住んでいたとされる建物が残っている。同じこのあたりに作家自身が住んでいた家も3つ見つかるはずだ。
Lori/Legion Media撮影 ツァールスコエ・セローのフェオドロフ町に行くこと。そこにはフェオドロフ聖母マリア寺院があり、皇帝の家族がしばしばそこを訪ねていた。もしアールヌーヴォー建築を見たいなら、カーメンノオストロフスキー大通りへ行き、バレリーナ、マチルダ・クシェシンスカヤの豪邸を見るとよい。マチルダは、皇帝ニコライ2世が皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチだった頃の愛人。
Lori/Legion Media撮影 巡洋艦アヴローラ号に行きなさい(修復後6月には再び、ネヴァ河支流の大ネフカ川に係留される)。アヴローラ号の空砲が革命の始まりとなった。さらに革命政府の本部が設置され、レーニンが革命宣言を行った、元スモーリヌイ貴族女学院の「白の間」、そして通称「ペトログラードの地」にあるレーニンの姉の住居博物館も見のがせない。
Lori/Legion Media撮影 この凄惨な事件を最も雄弁に証言するのは激戦地だが、包囲の突破口になったネフスキー・ピャタチョーク(ネヴァ河橋頭堡)を訪ねてみよう。また多くの犠牲者が眠るピスカリョフ記念墓地からは強烈な印象を受けるだろう。
Lori/Legion Media撮影 青少年劇場(ピオネール広場1番地)とフィンランド駅に行くとよい。スチリャーガ風俗(米国の生活様式を理想とした、ソ連時代の若者のサブカルチャー)は、ネフスキー大通りの、ウラジーミルスキー大通りとの交差点から蜂起広場までの「サニー・サイド」と呼ばれる偶数番地側を行き来している。まさしくこの一画にあるネフスキー大通り49番地に、当時の人気カフェ「サイゴン」があり、そこにはスチリャーガたちや芸術貴族仲間がたむろし、詩人ヨシフ・ブロツキーや作家セルゲイ・ドヴラートフもしばしばそこを訪れていた。
Lori/Legion Media撮影 思いきって文化センター「プーシキン通り10番地」へ行ってみたら? そこは1989年にソ連で最初に現れたアート・スクワット(芸術占拠地)だ。そこには小さなミュージアムやギャラリーが数多くあるほか、ロシアのロック・ミュージシャンの録音スタジオや、最近、創設されたレニングラード・ロック・ミュージアムもある。
スモーリヌイ=Lori/Legion Media撮影
彼が暮らしたことのあるバスコフ小路12番地の家を覗いてみるとよい。彼が通った193番中等学校もすぐ近くだ。そしてもう一度、スモーリヌイに戻ろう。そこにはサンクトペテルブルグ政府があり、プーチン氏の政治家としての歩みもそこから始まった。
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