ソ連の多くの映画で好ましい登場人物として描かれているのは、特別なオシャレをしない素朴な「ごく普通の」女性である。一方で、敵役になるのは派手な衣装をつけ、濃い化粧をした、まるで欧米の雑誌から飛び出したような女性であった。こうした対比は映画「ダイアモンド・アーム」や「The Girls」などの中で目にすることができる。さらにソ連には、外見ではなく、内面の美しさを磨かなければならないという明確な考え方があった。しかしながら、ソ連の女性たちはやはり流行のファッションをチェックし、美しくあろうと努力した。
ソ連時代、美という概念は健康から始まった。ソ連では、ほどよくふっくらしていて、体が強くて丈夫なのが美しい女性だとされた。ソ連の各都市では、毎年、スポーツパレードが開かれ、ソ連の男女の健康で強い身体が披露された。
新たな国の誕生後、ソ連は飢餓や空腹、結核に悩まされ、そしてその結果として多くの人々が必要以上にやせ細っていた。しかし1960年代、1970年代になると、今度は肥満、そしてそれによる疾病と戦わなければならなくなった。治療の一般的な方法は、サナトリウムでの食事療法や治療を目的とした断食、またケフィールだけの食事の日を作るといったものであった。
健康的な体重を維持するため、ソ連ではあらゆる年齢の市民のための無料のサークル活動というものが存在した。1980年代になると、現在と同じようなフィットネスクラブも誕生した。
このほか、ほとんどの職場では、職員を対象とした体操の時間が設けられ、人々は家にダンベルやぶら下がり健康器を置き、スキーやスケートを持っていた。
20世紀初頭まで、ロシアで、ショートカットの女性を見つけるのは容易ではなかった。女性は誰もが長い髪をしていて、そのヘアスタイルで既婚者か未婚者か婚約者がいるかがわかるようになっていた。しかしソ連になってからは進歩的な女性たちはその長い三つ編みを切り落とし、ボーイッシュなヘアスタイルに変えた。とはいえ、その中には、その上から、ロシアのプラトークをつけている女性もいた。ショートカットは便利で、近代的で、手入れも簡単だった。
もちろん、三つ編みをすることが禁止されたわけではないが、基本的には学生やフォークロアアンサンブルの参加者たちのものになった。ソ連では映画女優たちですらショートカットが多かった。
ソ連には今でいうような近代的なビューティーサロンはなかったが、手軽に行くことができる美容院はたくさんあった。ちなみにそこでネイルやペディキュアをすることもできた。
学生たちが派手なメイクをすることは歓迎されず、そのような外見をしているとコムソモールの会議で弾劾された。しかし、それよりも少し年齢が上の女性たちは、赤い口紅をした。しかしその場合にもアイメイクをしないこともあった。
激しいメイクというのは、劇場や映画の中のものとされていた。
閉鎖された国に住む女性たちは映画や雑誌でしか、流行りのファッションを目にすることはできなかった。そしてもちろん、それを見た女性たちの誰もが同じようなものを欲しがった。幸い、女性の多くが裁縫や編み物、刺繍が得意だった。自分自身で美しいものを作る能力は、当時、かけがえのない貴重な技量であった。
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