ソ連市民には、家事、家族、5カ年計画など、ヘアスタイルよりももっと大事なものがあった。そこで髪のことなどあまりかまっていられず、人々はスカーフや帽子で隠したりしていることが多かった。実際、美容院で髪を切るためのお金もなかったのである。当時、パーマは真の救世主であった。パーマはかなり長く持ったし、パーマの効果を保つためにはカーラーを使えばよかった。
しかし、結婚や記念日など、大々的なお祝いがあれば、労働者もコルホーズ農民も、儀礼的に美容院に足を運んだ。ソ連のドキュメンタリー写真家はこの瞬間をもちろん逃さなかった。
モスクワの理髪師 1960年代
Aleksandr Steshanov/MAMM/MDF美容院にて 1956年
Vsevolod Tarasevich/MAMM/MDF美容師コンクールに出場するヘアデザイナー「奇跡の手」、タチヤナ・コンスタンチノワ 1962年
MAMM/MDF美容院での子どものカット 1966年
Vsevolod Tarasevich/MAMM/MDF美容院にて 1968年
Viktor Gorkin/MAMM/MDF理髪店にて 1971年
Viktor Ershov/MAMM/MDFタリンの美容院にて 1970年代
Aleksandr Steshanov/MAMM/MDF美容アートコンクール 1978年
Viktor Akhlomov/MAMM/MDF美容院の男性部門 1981年
Vladimir Sokolaev/MAMM/MDF美容院の女性部門 1981年
Vladimir Vorobyov/MAMM/MDF美容院の女性部門 1981年
Vladimir Sokolaev/MAMM/MDFロシア・ビヨンドのニュースレター
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