日本・福島:大災害から2年を迎える2013年3月6日、津波によって破壊された福島県の東京電力福島第1原子力発電所で、熔解した燃料棒を保管するために第4号機近くで土台を建設している現 場を、保護服をまといマスクを装用して、東京電力職員の案内で訪問する報道関係者たち。 =加藤一生/ロイター通信撮影
世界保健機関(WHO)の統計によれば、事故処理に従事した人の死亡率は、一般の成人と同じレベルにあるのに、福島の事故の評価が「レベル7」に引き上げられた時点で、世界の人々は、福島をチェルノブイリと同様に「カタストロフ」とみなすようになった。
チェルノブイリの事故が起きたとき、一番恐ろしかったのは、その「不確定性」だった。つまり、事故が人体と環境にどんな影響を及ぼすか、ということだ。
ロシアと外国の学者の研究により、今日ではその実際の影響は明らかになっている。WHO、国際原子力機関(IAEA)、国連およびロシアの学者のデータによれば、チェルノブイリ原発4号炉の爆発で、28人が大量の放射能で被ばくし死亡。このほか、134人が多量の放射能を浴びた。
かつてチェルノブイリでも、事故処理中に、このレベルを超えることがあった。そういう場合は、原発所長の許可を得なければ作業は続行できなかった。
チェルノブイリ事故がカタストロフ扱いになった主たる要因にはパニックが起きたことが大きく影響している。90年代初めには、1000万人近くがチェルノブイリ原発事故の被害者と宣言され、そのせいで、彼らは家を失い、故郷を失った。
チェルノブイリの第一の教訓は、事故の過大視も過小評価もせずに、一方で国民の生活を損なわないようにすることだ。
もう一つは、あらかじめ大事故のシミュレーションを行っておくことだ。
ウクライナ・チェルノブイリ:チェルノブイリ原子力発電所で破壊された4号炉を覆う石棺正面部分に第一段階となるシェルター構造を構築する建設現場の概観。2012年4月26日に撮影。世界最悪の原子力事故となったウクライナのチェルノブイリ事故は今年で27周年を迎える。 =AFP通信写真部/ ゲニヤ・サビロフ撮影
ロシアで事態が動き出したのはかなり遅く、非常事態省と、核関連企業「ロスエネルゴアトム」の危機管理センターなどが創設されてからのことだ。
チェルノブイリ原発事故の後、爆発を起こした4号炉をコンクリートで覆うことが決定され、突貫工事で事故後わずか半年後に完成した。
だが後に、この「石棺」には欠陥があることがわかった。放射能が高濃度だったため、作業が遠隔操作で進められた結果、屋根の一部が完全に接合されず、多数の隙間(すきま)ができてしまった。
このため、「石棺2」のプロジェクトが始動し、現在まで建設工事が続いている。 応急処置だった石棺1の寿命は短かったが(約30年)、石棺2は寿命100年を見込んでいる。放射能レベルが下がり、作業が遠隔操作ではなく、通常の方法で行われていることも手伝っている。
ロシア科学アカデミー原子力安全問題研究所のレオニード・ボリショフ所長は1992年に日本のさまざまな原子力施設を訪れたが、その際、ある原発で、オペレーターの訓練用の機器を見せられた。
大事故をほとんど起こりえない仮説とみなし、非常事態への準備を怠ったことが、福島の事故をもたらしたのではないか。
たとえ可能性が小さくても、深刻な被害を及ぼし得るような事故については、常日ごろから検討し研究しておくべきだ。これもチェルノブイリ原発事故の教訓だった。
もう一つの教訓は、事故防止システムの徹底した現代化であり、これに政府の最上層部をコミットさせることだ。
それ以後ようやく、安全管理の観念が生まれ、オペレーターを訓練するための機器が導入された。
現在、ロスアトムとウクライナの専門家は、チェルノブイリ原発4号炉の新たな石棺を造っている。これはユニークな施設だ。
福島第1原発の場合、4基の原子炉を封じ込めねばならず、その作業は長期に及ぶのは避けられない。その際に、ロシアの専門家の知見が役に立つかもしれない。
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