ソ連とロシアの飛行機は、米国やフランスのものと並び、世界でも特に優れていると考えられている。20世紀のロシアの技師は、世界の航空産業の形を変え、商業的にも成功を収める可能性のあった数多くの有望なプロジェクトを考案した。
しかしさまざまな理由で、これらのモデルは量産に至らなかった。戦争や、ロシアが陥った経済の停滞が原因だ。
ここで紹介するのは、おそらくほとんどの人が今まで聞いたことのない、3つの特に面白いプロジェクトだ。
この戦闘機は1990年代後半に登場した。もしかしたらロシアのSu-57ジェット戦闘機の代わりに第5世代戦闘機として活躍していたかもしれなかった。
これは世界で最も変わった飛行機の一つと考えられている。特徴は前進翼だ。このデザインは低速での操作性と離着陸性能を高め、レーダーによる観測性を下げ、ジェット機の航空力学的効果を高める。
しかしユニークさゆえに同機は軍には採用されなかった。
「あまりに高価で量産に適さない。こうした前進翼を作るには高価な炭素繊維複合材量を使わなければならない。したがって軍はプロジェクトを『より良き』時代に延期した。1990年代は資金難の時代だったからだ。後にスホイ設計局はSu-57を開発し、皆かつてのジェット機のことは忘れてしまった」と雑誌『祖国の軍備』のヴィクトル・ムラホフスキー編集長は語る。
とはいえ、後にSu-57で採用された技術はこの機を使って試験されていた。
「スホイはステルス技術と機体内の兵器の配置を試験し、レーダーによる観測性をさらに下げようとしていた。いずれも近代化されて今では第5世代ジェット戦闘機Su-57に採用されている」と編集長は指摘する。
スホイS-21超音速ビジネスジェットは1980年代の技術の進歩を示すものだ。あらゆる点で独特のこの飛行機は、今日でも未来から来た宇宙船のように見えるが、当時の市場の隙間を埋める可能性があった。しかし個人投資家の援助があったにもかかわらず、製造に至ることはなかった。
「当時これは市場で初の商用超音速ビジネスジェットの試作機の一つだった。何年も前に、スホイはこの部門に深く食い込めていたかもしれなかった」とムラホフスキー氏は言う。
彼によれば、実現しなかった理由はSu-47と同じで、やはり資金難だという。
「ソ連崩壊後、ロシア軍は将校や兵士に払う金が文字通りなくなった。軍の技師に対しても然りだ。航空機の開発に数百万ドルを投資するなど論外だった。状況は石油とガスの価格が上がり、ロシア政府が数十億ドル規模の兵器の獲得・開発計画を始めた2000年代に改善した」と同氏は言う。
こうした計画の一つは現在も進行している。ロシア政府は2027年までの計画で約3000億ドルを兵器の開発と獲得に投資している。この金は新しい戦略兵器、空中兵器、陸上兵器の開発や軍全体の兵器更新に充てられる。
BB-21は1930年代後半に登場した。これは世界で初めて翼に機銃を設置した飛行機だった。
「それまでの飛行機は機銃を操縦席の前か後ろに設置していた。ソビエトのエンジニアは翼に取り付けた機銃を遠隔操作する単葉機(主翼が一枚の飛行機)を作った」とムラホフスキー氏は説明する。
このプロジェクトは軍に採用されたが、量産は実現しなかった。ソ連は1941年にドイツ軍の侵攻を受けており、すべての生産設備をYak-1戦闘機の製造に充てなければならなかったからだ。Yak-1は技術的に劣っていて火力も小さかったが、ソ連に選択肢はなかった。
BB-21はそれぞれの翼に2丁の大口径銃と2丁の機銃を取り付ける計画だった。空中戦での防御用、また後方への攻撃用として、後部にも機銃を持っていた。
最高速度は時速400キロメートルに達し、最高高度6650㍍で飛行できるはずだった。これは1930年代後半にしては画期的な性能だった。
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