なぜソビエト指導者の車はアメ車に似ていたのか

Valentin Khukhlayev/MAMM/MDF/russiainphoto.ru
 ソビエトのVIP用リムジンは米国製の車を思わせたが、装甲はむしろ戦車に近かった。

  30年間にわたって、ZILリムジンはソ連で最も重要な車だった。世界最大の国の指導者を乗せていたのだ。

ZIL-144。赤の広場、1968年。

  ZILリムジンは米国の高級車に触発されて作られたものだ。ソビエトの技師らもそのことを堂々と認めていた。ソ連は、常にリンカーン、ビュイック、キャデラックの諸モデルを購入し、研究していた。

ZIL-111、1958年。

  しかし、ソビエトは米国の車を盲目的に模倣しただけではなかった。ソビエトの最初期のリムジンの外見は米国のものと共通点が多かったが、「トッピング」は全く異なった。

  ニキータ・フルシチョフの主要な車となったZIL-111は、パッカードにかなり似ていた。ソビエト指導者は、同車を盟友フィデル・カストロに贈呈した。

1963年5月1日。ニキータ・フルシチョフがフィデル・カストロの最初のロシア訪問中、彼にモスクワを案内している。車にはレオニード・ブレジネフもいる。

 次の指導者、レオニード・ブレジネフは、ZIL-114を乗り回した。ドライブ愛好家だったブレジネフは、ZIL-117というZIL-114の「短い」バージョンを注文し、それに乗って個人で密かにドライブしていた。公式には、ZIL-117は護衛車として登録されていた。

ZIL-117B。ソコリキ公園の展覧会「特定目的のガレージ」にて。

 スターリンの死後、ソ連の指導者は、「民主的であること」と一般市民との近さを強調するため装甲車には乗らなくなった。しかし、レオニード・ブレジネフの暗殺未遂事件で運転者が犠牲となったことで状況が変わった。新しいZIL-4105は世界で最も防御の固い車として設計された。装甲は非常に頑丈で、強力な爆発物でも集中射撃でも車に大きな損害を与えることができないほどだった。

上級大将ウラジーミル・ゴヴォロフとソ連邦元帥ヴィクトル・クリコフ(車に乗っている)。50回戦勝記念日の軍事パレードにて。

  1985年に登場した全長6.34メートルのZIL-41047は、世界で最も長い乗用車の一つだった。7人乗りだった。

1991年。ロシア連邦警護庁の職員たち。ロシア連邦警護庁の前身はソ連国家保安委員会 (KGB) 第9局だ。

 ソビエト最後の指導者、ミハイル・ゴルバチョフと、ロシア初代大統領、ボリス・エリツィンは、ともにZIL-41052を使った。しかしエリツィンはこの車が全く快適でないと考えるようになり、メルセデスに乗り換えた。こうして長いZILの伝統は途絶えた。

ロシアのボリス・エリツィン大統領(1931-2007) がナロ=フォミンスク付近でエアボーン部隊と会合する。

 ZIL-4112Pは、ロシア大統領用に開発された最後のZiLリムジンだった。ウラジーミル・プーチンが2012年に同車に試乗したが気に入らなかったという噂がある。その真偽はともかく、結局量産には至らなかった。

新しいビジネスクラスの自動車、ZiL-4112R。リハチョフ記念工場の組立ショップにて。モスクワ、2012年。

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