ソ連に身体障碍者向けの自動車が登場したのは1947年で、四肢のいずれかを失って故郷へ帰還した多くの退役軍人にとっては、新鮮な空気を吸い込む心地のする出来事だった。
とはいえ、KMZ K-1Vは理想的な車と言うには程遠かった。かなり脆弱で、たびたび壊れては大修理を必要とした。その上運転が難しく、ついにはドライバーから「ヒトラーに感謝」という不名誉なあだ名を付けられた。
身体障碍者はこのミニカーを手だけで運転できた。片手で運転できるモデルもあった。
ヘッドライトが一つだったことから、SMZ S-1Lはキュクロプスとあだ名された。
1950年代末、四輪車のSMZ S-3Aが従来の三輪ミニカーに取って代わった。エンジンは比較的重い車(425㎏)を推進させる必要があったため、燃費が悪かった(リッター20km)。しかし当時はガソリン代が安かったため、このことは所有者にとってさほど問題にならなかった。
23万台以上が製造されたこのミニカーは、ソ連の主要な身体障碍者向け量産車となった。SMZ S-3Dは5年間無償で供与され、期間を満了すれば新車に乗り替えることもできた。さらに、2年半所有すると国の負担で全面的な修理を依頼する権利を与えられた。
この「ポンコツ車」はうるさく狭かったが、凸凹道でも走り易く修理も簡単とあって、ドライバーの評判は良かった。ZAZ 968には、両脚ないし片脚がない(ただし両腕はある)、片腕片脚がないなど、さまざまな障碍者の特徴に合わせたいくつかのモデルがあった。
これはソ連末期に設計された車の一つで、身体障碍者向け自動車としては最後のものだ。車内が快適でないことで悪名高かった従来の車とは異なり、SeAZ-1111-01の車内は心地良く、ゆとりがあった。
同車は2000年代半ばまで身体障碍者の間で広く普及していた。
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