「黒い死」から「バラライカ」まで:ソ連の軍用機が打ち立てた記録の数々

MIG 29/Global Look Press
 これら5機のソビエト軍用機のそれぞれが、航空史に残る大きな記録を打ち立てた。それまで不可能と思われていたことを、これらの飛行機はやってのけたのだ。

 1. Il-2

1941-1945年、大祖国戦争。対地攻撃機Il-2。

 イリューシンIl-2「シュトゥルモヴィーク」は史上最も多く製造された軍用機だ。1930年代後半に開発された対地攻撃機で、第二次世界大戦中に生産された。36000機以上が作られた。

  この飛行機の主要な特徴は、装甲が施されていたことだ。例えば、対するドイツの急降下爆撃機Ju 87「シュトゥーカ」には、飛行機の重量増加を避けるため、軽い装甲しかなされていなかった。ソ連の航空機設計者セルゲイ・イリューシンの解決策は、機体の格納部を鋼鉄の装甲で保護することだった。これにより、地上からの攻撃に対する防御力が高まった。Il-2は「空飛ぶ戦車」とあだ名された。ドイツ側はこれを「コンクリート爆撃機」や「黒い死」と呼んだ。Il-2の飛行中隊による攻撃は、ドイツ軍に壊滅的な影響を与え、その士気をくじいた。

  だが一方で、Il-2は速度で上回るドイツ軍の戦闘機に対して無力であった。機体後部に装甲が施されていなかったためだ。ソビエト空軍が「空飛ぶ戦車」を援護できるだけの戦闘機を有していなかった戦争序盤には、Il-2の損失は計り知れなかった。10回の作戦につき一機のIl-2が失われた。1943年以降は状況がいくぶん改善し、シュトゥルモヴィーク一機で平均26回の作戦を遂行できるようになった。

2. MiG-15

 MiG-15はミコヤンとグレヴィチによって1940年代後半に開発され、世界で最も多く製造されたジェット戦闘機となった。生産機数は約16000機で、40ヶ国で運用された。最後の機体はアルバニアで使用されていたが、ごく最近(2006年)に退役した。MiG-15のウィニングランが始まったのは朝鮮戦争のことだ。当時この機体は西側のジェット戦闘機を凌駕しており、ソビエトテクノロジーで生み出された機体の性能の良さを見せつけた。当時の英空軍参謀総長はMiG-15の性能について、「我々が今日製造しているどの機体よりも速いだけでなく、すでに大量に生産されている」と話したとされる。

  このソビエト戦闘機に対抗できるのはF-86「セイバー」だけだと言われた。朝鮮戦争の間、ソ連パイロットのエヴゲーニー・ペペリャエフはMiG-15を操縦し、この戦争で最も優れたパイロットとなった。38回の空中戦で彼は18機のセイバーを含め、20機以上の戦闘機を撃墜した。その間ペペリャエフが使用したMiG-15戦闘機は3機だった。

3. MiG-21

ソ連の宇宙飛行士、ゲルマン・チトフがMiG-21で出発している。

 12000機が製造されたMiG-21は、航空機史上最も多く生産された超音速戦闘機だ。1960年代前半には、飛行速度時速2388キロメートルという世界記録を有していた。量産されたため安価で、米軍のF-4「ファントム」よりも数倍安かった。

 MiG-21は専らミサイルを使用する初のソビエト戦闘機となった。 MiG-21は軽量で、急速に上昇できた。このためベトナム戦争ではF-4のミサイルから逃れることもできた。ロシアの伝統楽器に因んで「バラライカ」とあだ名されたが、これは機体の形がこの楽器を思わせたからだ。この戦闘機はいくつかの国々で今も現役で活躍している。

4. MiG-29

道路から離陸しているMiG-29。

 別のMiG戦闘機、MiG-29は独特の特徴を備えており、それ以前の飛行機ではなし得なかったような曲技飛行のパフォーマンスを可能にした。1988年のファーンボロー航空ショーで、MiG-29のパイロットらはそれまでジェット機で誰もなし得なかった「ベル」という技を披露して観客を驚愕させた。これは上昇中のある時点で速度をゼロにして、静止状態を保つというものだ。

  以前、ロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥーで撮影された、MiG-29がほぼ垂直に離陸する動画が公開され、大きな話題を呼んだ。1980年代初めの試験段階から、パイロットが尾部きりもみ降下をさせるのに時間がかかったと言われる。危険な状態から飛行機が自動的に脱してしまうためだ。

5. Su-27

離陸中のSu-27、1989年。	ル・ブルジェでのパリ航空ショーにて。

 極めて高い操作性を誇るスホイSu-27戦闘機は、MiG-29とほぼ同時期に開発された。このモデルは空中での高度な任務を想定して作られ、公式には1990年に実戦配備された。しかしながら、この飛行機はすでに試験段階からいくつかの記録を樹立していた。1986年にはソビエトのパイロット、ビクトル・プガチョフが、わずか25.4秒で高度3000メートルまで上昇した。その後も彼は一分足らず(58秒)で高度12000メートルまで上昇するなどの記録を作った。これらの記録は未だに破られていない。

  1989年、プガチョフはパリ航空ショーで極めて難易度の高い技「コブラ」を披露した。この技は後に彼に因んだ名称を与えられることとなる。この演技でSu-27はほとんど直立した状態を維持して飛行し、その高い操作性を見せつけた。合わせて30ほどの記録がSu-27によって打ち立てられた。

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