宮崎駿は、世界中の観客、読者の心への「鍵」を見つけた。彼の独創的な視覚的イメージ、めちゃくちゃ美しく、そして人間味あふれるアニメと漫画は、いたるところで鑑賞されているが、ロシアも例外ではない。ロシアでも、2000 年代に『千と千尋の神隠し』が大ヒットして以来、真の「宮崎マニア」は、今日に至るまで衰えていない。昨日の子供たちは、すでに家族を持ち、自分の愛するアニメを子供たちに見せている。
リバイバル上映は定期的に開催され、『千と千尋の神隠し』のそれは3回行われている。オンラインでの鑑賞は数知れない。宮崎についてロシア語で出版された書籍の数は、ロシアおよび、ディズニーをはじめとする外国のアニメーターに関する本よりも多い。
宮崎のアニメがロシアで愛される4 つの理由をご紹介しよう!
1. 宮崎は日本の「西欧派」
宮崎作品では、東洋と西洋が出会っている。彼の才能のこの特質は印象深い。ロシアもまた、歴史的にヨーロッパとアジアの間の架け橋の役割を果たしてきたからだ。宮崎は、日本の視覚的伝統、民俗学、文学などに依拠する一方で、国境を越えて世界の文化からインスピレーションを得ている。
たとえば、ナウシカという名前は、ホメーロス作『オデュッセイア』に出てくる王女ナウシカアから借用したものであり、「天空の城ラピュタ」は、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』に登場する、空を飛ぶ島にある王国からとったものだ。
宮崎が愛する西洋の文学作品の多くは、ロシア人も愛読している。たとえば、サン=テグジュペリ(彼の画集『サン=テグジュペリ デッサン集成』に、宮崎は序文を書いている)や、アストリッド・リンドグレーンなどだ(監督のキャリアの初期には、『長くつ下のピッピ』を映像化しようとしたほどだ)。
2. 宮崎の愛するヒロイン:勇敢な少女たち
ロシアの大衆文化においてハリー・ポッターに匹敵する人気を誇ったヒーローがいるとすれば、それは女子生徒アリサ・セレズニョワだろう(彼女は12歳くらいの設定だ)。ソ連のSF作家キール・ブルイチョフの複数の小説、そして超人気アニメ『第三惑星の秘密』(1981 年)、これに劣らず人気の、テレビのSF連ドラ『未来からの訪問者』(1984 年)におけるヒロインだ。
これは近未来の女子生徒だ。彼女は好奇心旺盛でフットワークが軽く、何にでも関心をもち、冒険がないと退屈する。しかし彼女は、ピンチに陥ったときはきちんと責任をとる。大人たちも彼女の理想主義と勇気から学ぶべきだろう。宮崎もこうしたヒロインを愛している。彼がキール・ブルイチョフを映像化していたとしてもちっとも不思議ではない。
3. 2Dアニメの伝統を継承・発展
1990 年代初めのピクサーの『トイ・ストーリー』の成功は、アニメーションの歴史を変えた。 2Dアニメの集客は減り、3Dアニメはますます増えていき、次第に競合他社を興行収入チャートから駆逐していった。
しかし、日本は、国産の2D アニメが今も人気の、数少ない国の 1 つであり、宮崎の作品はその証だ。そして、ロシアもそうした「少数派」であり、いまだに2D アニメが愛されている。
ロシアでは、最も興行収入の高い2つのアニメ・シリーズ(『三人のボガトゥイリ(勇士)』と『イワン王子と灰色狼』)は、伝統的な技術で製作された(これは「ディズニー的な技術」と呼ばれている)。 ロシア国産の長編 3D アニメは、いずれもこれら2作品の興行収入に遠く及ばなかった。
4. 相思相愛
宮崎はソ連のアニメについて常に大きな敬意をもって語っている。彼によれば、アニメーターになりたいという願望を強くしたのは、レフ・アタマノフの『雪の女王』(1957年)だったという。ちなみに、これも決然とした勇敢な少女を描いた作品だった。
当時はビデオデッキがなかったので、宮崎はこのアニメを頻繁に見たかったものの、それはできない相談。そこで、イメージを脳裏に甦らせるために、録音したオーディオトラックに耳を傾け、テープが擦り切れるまで聴いたという。「オリジナルの声を聞いて、ロシア語の美しさを実感した」と彼はかつて語った。
宮崎は、アニメ『霧につつまれたハリネズミ』や『話の話』の監督ユーリー・ノルシュテインと友人であり、お互いを天才と呼んでいる。これも嬉しいことだ。
さらに宮崎は、子供向けのベスト50作品の中に以下の作品を挙げている。すなわち、サムイル・マルシャークの戯曲『森は生きている』(原題は『十二の月』で、日本でもアニメ映画となっている)、ピョートル・エルシーョフの童話『せむしの仔馬』、そしてレフ・トルストイの民話『イワンのばかとその二人の兄弟』。