アファナシエフ駐日大使にインタビュー

エフゲニー・アファナシエフ駐日ロシア連邦特命全権大使=セルゲイ・ミヘエフ撮影

エフゲニー・アファナシエフ駐日ロシア連邦特命全権大使=セルゲイ・ミヘエフ撮影

エフゲニー・アファナシエフ駐日ロシア連邦特命全権大使は、ロシースカヤ・ガゼタ(ロシア新聞)と毎日新聞共催の第2回日本・ロシアフォーラムに出席するため特別に帰国した。弊紙としてはこの機会を逸することなく、今日の露日関係の現状について聞くこととした。

―現在の露日関係をどう評価するか。 

 両国関係に置かれた基礎の部分が、最近生じた困難な状況を克服する助けになっている。つまりウクライナ情勢のことだが、これはロシアのせいで起きたわけではない。私が、露日関係の基礎というのは、極めて高いレベルでの政治対話のことだ。過去2年間、プーチン大統領と安倍首相は5回も会談を行っており、安倍首相のロシア公式訪問もあった。これは両国の指導者が信頼し合っている証左で、このことは、両国の他の領域にも、然るべく波及している。プーチン大統領が安倍首相の訪露に際して強調したように、日本はロシアの「自然なパートナー」だ。両国は、相互に利益をもたらす友好的な関係を結ばないわけにはいかない。

 

―とはいえ日本は、クリミアおよびウクライナをめぐるG7の立場を支持し、一連の制裁を科したが? 

 もちろん、制裁は両国関係に影響している――とくに既に調整されて決まっていた政治日程に。プーチン大統領訪日の日程はもうすっかり詰められていたのに、残念ながら、変更を余儀なくされた。

 

―今秋のプーチン大統領訪日はないということか? 

 訪日するか否かは、プーチン大統領自身が決めることだ。しかし強調したいのだが、このレベルの訪問は然るべき準備がなされねばならない。安倍首相訪露のときは、我々は半年間準備した。

 

―多くの東洋学者は、日本の反露的行動の後ろにはアメリカがいると言っているが? 

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 誰が日本に圧力をかけているかは公然の秘密だ。だが日本にも、露日両国にはそれぞれ固有の国益があることを理解している人間がいる。我々は隣国同士であり、これからもそうだ。我々のどっちか片方が月に飛び去るようなことは決してない。だから、我々両国としては、「共通の言葉」を見出し、国益にしたがい、関係を前進させていけばいい。こういう協力関係が可能な分野は山ほどある。ロシースカヤ・ガゼタ(ロシア新聞)と毎日新聞共催の第2回日本・ロシアフォーラムは、そういう交流が関係発展に大いに役立つことを示してくれた。よく言われるように、お互いに歴史的楽観主義者でありたいものだ。

 

―政治以外に経済分野もある。 

 2013年度の両国の貿易高は約350億ドル。これは史上最高だった。もっとも、ロシアと日本のような経済大国にとってはまだまだ小さい。例えば、露中間では、その2倍半の約800億ドルだし、日中間に至っては約3500億ドルに達する。この比較から明らかなように、まだ活用されていないポテンシャルがあるということだ。しかも、露日間には、石油・ガスなどの分野で協力し成功している経験もある。私は日本で、15年間サハリンで事業を展開している三井と丸紅の幹部に会ったが、彼らはロシア語も堪能で、現実を知悉している。

 

―今年の数字はどうか? 

 上半期の数字があり、貿易高は伸びている。最初の半年で14%増だ。しかも、ロシアから日本への輸出は25%も増えている。日本側の輸出は若干減っているものの、去年の数字は超えられると思う。下半期を見よう。

 

―日本人はロシアにどんなイメージをもっているか?依然として先入見にとらわれていると再三聞くが。 

 実際そういう問題はある。とはいえ、我々が常に世論を調査しているところでは、ここ20年間で、日本人の対露感情は多少は良くなった――依然、冷戦の遺産は感じられるが。ところが、ロシア人の対日感情は良い。この問題を解決するには、民間外交がとても大事だと思う。そして、マスコミ報道だ。私は毎朝、日本のテレビ、ラジオ、新聞を見ているが、西側の論調の引き写しがすごく多い。その西側のマスコミでは最近、周知の通り、ロシアのイメージダウンが盛んに行われている。これは確かに問題だ。

 

―その対策は? 

  露日関係の明るい側面について伝える必要がある。例えば、武道家ワシリー・オシチェプコフのことで、彼についてはフォーラムでも話が出た。彼は見事に柔道を習得し、ロシアに持ち込んでサンボを創った。他にも例がある。日本の大横綱大鵬は、母が日本人で、父は帝政ロシア生まれのロシア人だが、日本人の多くはそのことを知りもしない。あるいは、日本にロシア正教を伝え、列聖されているニコライ・カサートキンのこと。彼は函館で布教を始め、長年日本で過ごし、多数の信者を獲得した。彼は、日露戦争の最中でさえ、日本にとどまり布教を続けた。東京にはその名を冠した聖堂がある。