なぜシリアにロシアの武器が必要なのか

=ニヤズ・カリム

=ニヤズ・カリム

シリア問題をめぐる平和的会議の準備が現在行われているが、これには、シリアにおけるロシア製武器の問題がつきまとっている。ロシアは、この議論には及び腰であるものの、“履行が必要な古い契約”を盾にしている。

 それでもこのような状況にありながら、貪欲なシニズムとダブル・スタンダードについて、ロシアがさほど批判されていないのは驚きだ。少なくとも西側諸国は大人しい。世界のできごとの中でも主要な位置づけに変わったシリア問題で、一体何が起こっているのだろうか。

 

平和会議が決裂すれば・・・ 

 どの関連諸外国も、この国際会議が重要な局面になると感じているようだ。会議で紛争当事者が歩み寄りを示したら、全般的な行き詰まりの状態が長く続いてきただけに、歴史的なできごととなるだろう。だが物別れに終わってしまったら、現状維持ではなく、紛争の急速な悪化をもたらしかねない。

 交渉決裂はこの問題の解決が戦場でのみ可能だという、反体制派向けのシグナルになってしまう。反体制派勢力と隣国のパトロンたちは、自分たちに有利な状況にするために、これまでの何倍もの労力を費やすようになるだろう。

 バラク・オバマ政権を含む”抑制組”は大きな圧力の下にさらされる。事態は、直接的な 干渉にまでは至らないだろうが、反体制派への武器供与を要求する勢力に対抗することはもはや不可能になってしまう。 

 ロシアは一方で、勢力バランスを維持する ため、すなわちシリア政府を支援するために、あらゆる努力を続けるだろう。そうなると緊張は必然的に新たな段階にエスカレートし、この紛争はロシア とアメリカの直接対決に変わってしまう可能性がある。多くの人がすでにそのような状況になっていると考えているが、実際にはそうではない。

 現在のロシアの対応は、和平プロセスを成功させるチャンスを高めるようというものだ――ただし、ロシアの論理に従って、ではあるが。それ以外のやり方ではさらなる混乱を招くだけだと、ロシアは警告している。シリア政府は、反体制派が決定的な優位性を得ることのないように動くためだ、という。

 

ロシアの姿勢の裏にあるもの 

 とはいえ、こういうロシアの駆け引きは難しいし、かなりリスクが高い。紛争のピーク時に最新兵器を紛争当事者の一方にだけ与えるのは、あまり上品ではないし、イメージ的にも良くない。

 もっともロシアは、わざと意識的に、強力な外部からの干渉を防げるような防衛機器をシリアに与えているにすぎない。

 ロシアはリビアのような武力干渉を許容しないし、そもそもシリア情勢においては、かなり断固たる、一貫した姿勢を示している。こういう姿勢は、いつもロシアに見られるとは限らない。ロシア政府に対してはここ2年、挑戦、批判、叱責が浴びせられて、先見の明のなさについて嘲笑されてきた。一方、オブザーバー的な第三者は、ロシア政府の姿勢を軟化させるべく 努めてきたが、何も変わりはしなかった。

 ロシアの断固たる姿勢は今日、数ヶ月前よりもまわりに大きな印象を与えている。それは、ロシア抜きにことを運ぼうとしてもうまくいかない、とアピー ルしたことや、アサド政権後のシリアの状況について、外国の反体制派支持者の間でより悲観的な見方が広がっていることがある。シリアが崩壊すれば、宗教的・民族的 な小数集団に分裂することは確実であり、それは、トルコ、ヨルダン、レバノンといったすべての隣国に紛争が波及することを意味している。イラクは情勢が非常に 不安定だから、より大きな影響を受けるだろう。

 とはいえロシアがたとえ象徴的な成功を収めても、実際的な成功はそれほど大きくならない。ロシア政府は最初から、言ってみれば保守勢力として、変革を目指す破壊的な行 動に立ち向かうべく努めてきた。これは変革によって生じる不安が共鳴効果を呼び、最終的にこの波がロシアにまで到達してしまうのではないかという警戒感か らきている。つまり、さまざまな形でカフカスのジハード(聖戦)を活発化させる恐れがある、ということだ。このような恐怖感には根拠があるが、この恐怖のシナリオの行く末は重苦しいものだ。

 

安定は過去の話に 

 アサド大統領が留任するか否か、スムーズに政権を引き渡せるか否かにかかわらず、元のシリアにはもう戻ることはできない。ロシア政府の断固たる姿勢は、 結果的にシリアの政治が正常化した場合にのみ、正当化されるだろう。シリア情勢が破滅的結末を迎えたら、ロシアはこの問題から外れるかもしれない。2年 以上に渡る奔走は無駄になり、”永遠に過去の同盟国”や”ダメな同盟国”というレッテルが貼られるだけだろう。

 だが、シリアの流血の事態の結果がどうなろうとも、それにもとづいた国際的な報告会を実施し、紛争を激化ではなく緩和の方向に向けられるようなポイントを定める必要があるだろう。当事者の誰かを罰するということではなく、未来への教訓とするために。だが現代政治から教訓を得ることは基本的にもうしなくなってい るから、これは実現されないだろうが。

 

元記事(露文)