ロシアのバーニャ文化を知り尽くした女性

ライフ
ヴィクトリヤ・リャビコワ
 アンナ・アルテミエワさんはバーニャでの意味深なお世辞にも恥ずかしがらず、そして白樺の枝のヴェーニク(体を叩くための木の枝を集めた箒のようなもの)と樫の枝のヴェーニクがどう違うのかを知っている。そんなアンナさんは、ロシア全土をバーニャの調査に出かけ、ブログにその感想を綴っている。

 「ヤムスキエ・バーニャ(サンクトペテルブルク)に行ったときのことです。バーニャである女性が、彼女の夫が陰嚢をダニに噛まれて、そのダニをどうやって取り除いたかという話をしていたんです。それはもう、光景が目に浮かぶような、皮肉たっぷりの面白おかしい会話で、そこにいた女性たちが皆、大笑いしていました。笑わずにはいられない話だったのです。それはもう純粋な喜びに満ち溢れたものでした」とアンナ・アルテミエワさんは話す。

 アンナさんは、ロシアのバーニャをテーマにした、もっとも人気のブロガーであろう。サンクトペテルブルク生まれのアンナさんは、ロシア全土のバーニャをめぐって調査し、その印象をブログに綴り、アドバイスを書いている。現在、インスタグラムだけでも1万人以上のフォロワーを誇る。

  

ロシアのバーニャにおけるイジメとお世辞

 ロシアのバーニャに来るのはだいたい30歳以上の男女である。もっとも最近では、いわゆる「ホワイトカラー」の若者たちも訪れるようになっている。アンナさん曰く、このロシアのバーニャで慣れなければならないのが、面白おかしい会話と不愉快な会話なのだという。 

 アンナさんは、10歳年下の妹とともにプスコフの公共バーニャを訪れた。妹が人前で裸になるのを嫌がると、たちまち、周囲の地元の女性らが、大きな声で、「水着を着て、プールにでも来たのかい?」と囃し立てた。またアンナさんは、タトゥーを入れていることを非難され、「ああ、よかったねぇ。このバーニャでその肌をきれいに洗いながせるかもね」と冷やかされた。 

 「わたしは特にバーニャで喧嘩するのが好きではないのですが、あのときは本当に傷つきました。リラックスしに来たのに、ケンカ腰にならなければならざるを得ないということにショックを受けたのです。おそらく、尊敬や選択の自由というものが欠如しているのでしょうね。これはバーニャだけでの問題ではなく、ロシアの一部の上の世代の人たち全体の問題ですね」とアンナさん。

 一方で、バーニャにいる女性たちから、お世辞を言われることもある。もっともそれはかなりざっくばらんなものだという。「あなたたちのそのかわいいお尻、触ってくれる男性はいるんでしょうね」、「まぁ、なんていいスタイル!わたしがそんなスタイルだったら、2回以上結婚してたわ」などである。クラスノプレスネンスキエ・バーニャで、アンナさんは「楽しんで!燃えるような愛人が見つかりますように」と言われたこともあるのだそうだ。

 アンナさんはそのような言葉は嫌いではないという。「わたしは背が高く、スポーツ体系で、肩幅が広いんです。ティーンエイジャーの頃は、それがコンプレックスだったのですが、バーニャではわたしの体をアマゾネスや女神みたいだと言ってくれます。それがわたしのコンプレックスを払拭してくれる訳ではありませんが、大きな自信を与えてくれるものです。両親ですら、わたしが聞きたい言葉をすべて言ってくれる訳ではありません。しかしここではまったく逆なのです」。

 ロシアのバーニャは知らない人と話をする恐怖や恥ずかしさを克服するのを助けてくれるものである。遅かれ早かれ、誰かにヴェーニクを貸してと声をかけることになり、あるいは体を叩いたり、スポンジで体をこすったりと、知らない人からなにかと頼まれることもあるかもしれない。

 ロシアのバーニャ文化を試してみたいという人は、バーニャの「プロ」と個別に体験すべきだとアンナさんは言う。バーニャの管理人は、高級バーニャからくることもあるが、アンナさんは、小さな民間のバーニャで「プロ」に指導を受けたこともあるという。

 「カンダラクシャ(ムールマンスク州)に行ったとき、外はマイナス32℃でした。わたしたちはオーロラを見に行きました。凍てつくように寒く、周りは真っ白で、美しい木のバーニャと小さな樽があり、男性が氷の上を走り、そこに開けた穴に入りました。それは、彼自身がそのように作ったものでした。彼はそこにちょうど自分のお腹の半径に沿うように入り、残りの体はちょうどそこにぴったり入っていました。彼は太っていたからです。そこにあるのは、バーニャの部屋とお茶、そして暖かい川に作った手作りの穴だけでした。そしてこの特別なサービスなどない、シンプルなループがどんな高級なバーニャよりも素晴らしかったんです」。

 

ロシア北方の奇妙な儀式と霊との遭遇 

 民間のバーニャ、公共のバーニャの文化がもっとも強く残っているのはシベリアとロシア北方だとアンナさんは言う。バーニャの管理人というのはどこもほとんど同じで、違いがあるのはヴェーニクだけだという。もっとも多いのは白樺、樫、針葉樹で作られたものであるが、多くのバーニャでは儀式や各地の習慣が数百年前から保存されている。

 たとえば、ロシア北方には、「黒」バーニャが多く残っている。 「黒」バーニャは、サウナ室と洗い場が一つになったもので、バーニャはたくさんの石の下の中心部にある炉床で燃える焚き火を使って焚かれる。ヴォログダでは、バーニャで横たわるのが一般的であり、体全体に蒸気が行き渡るよう、座るための板もない。

 「ペテルブルクから400キロの場所に、ヴェプス人(少数民族)が暮らす村があるんです。そこの人たちがバーニャに行くときには、必ずバーニャの神様バンニクに許しを得て、バーニャでの災いから身を守ってくれるお約束の言葉を口にします。彼らは、人間は世の中でもっとも重要なものではないことを覚えていて、自然に敬意を払わなければならないと考えているのです」。

 たとえば、彼らは夜中にはバーニャに入らないようにする。フォークロアによれば、実際的な見地から、夜中にバーニャの火を消すのは困難だからだという。またバーニャに入る前には頭を下げる。ちなみに、バーニャの入り口のドア枠は低く作られている。頭を下げて入るということに加え、熱気を逃さないという実質的な意味合いもある。

 アルハンゲリスク州の住民たちはアンナさんに、バーニャの神様オブデリハとの出会いについて語ってくれたという。その神様は長い髪と大きな歯を持つ裸の女性で、バーニャに住んでいて、人間にいたずらをすると言われる。しかし、それでもオブデリハは何か災いがあったときには、人間を助けてくれると地元の人々は信じている。

 「わたしたちは、地元のピネガ川で渡し船を運営している男性に会いました。彼は、オブデリハに助けられたことがあると言っていました。バーニャで熱くなりすぎたときに、外に出してくれたというのです。それからオブデリハは未亡人の妹のことも助けてくれたと言っていました。妹さんには5人の子どもがいたのですが、オブデリハは、妹さんが夫の死後、呆然としている間、2人の乳児を抱いてあやしてくれたのだそうです」とアンナさんは話す。

 一方、アルハンゲリスク州のピネジスキー地区では、バンニクとの交流は結婚の儀礼の一部だったという。 

 「結婚式の前に、新婦は女友達とバーニャに行きますが、そのとき、教母または代母といった特別な女性がつきます。その女性が少女から女性に移行する儀式のプロセスと正確性をチェックします。かつては、ピネジヤのいくつかの地区では、その女性が結婚初夜が滞りなく済むよう、新婦の処女性をバンニクに捧げさせたんだそうです」とアンナさんは語り、しかしもちろん現在はこのような儀式は行われていないと念を押した。

 

ロシアのバーニャを知るために

 ロシア的にサウナに入るとはどのようなものかを感じるためには、以下の3つの方法を試してみるべきだとアンナさんは言う。

  1. 冬場に、氷の穴が備えられたバーニャを試す。
  2. 暑いときにバーニャに行き、それから川で泳ぐ。
  3. 人が大勢いる大型の公共のバーニャに行く。

 「公共のバーニャでは、あなたが誰なのか誰も知りません。だから、経理係からモデルに至るまで誰にでもなれるです。そしてリラックスして、自分のしたいことをすればいいのです。加えて、ロシアのバーニャには教会のような雰囲気が漂っています。公共のバーニャは広くて、天井も高く、その熱気、香り、湿り気、光によって、悩みや考えは溶けてしまって、いろんなことから解放されるんです」。