消えたロシアの街5選

歴史
アンナ・ソロキナ
 なぜ歴史ある商人の街が水没したのか、黒海にあったジェノヴァの植民地はどうなったのか。ロシア各地にあるゴーストタウンについてお話ししよう。

 放棄され、沈められ、自然災害で壊滅したこれらの居住地は、比較的最近までロシアの地図上に存在した。今その場所には何があるのだろうか。

 

1. モロガ(ヤロスラヴリ州)

 しばしば「ロシアのアトランティス」と呼ばれる、かつて繁栄した商人の街は、1940年代にルイビンスク人造湖の建設に際して水の底に沈んだ。

 この街(モスクワの270キロメートル北)は12世紀から知られ、大きな定期市が行われるロシア帝国でも指折りの商業中心地だった。ここには15世紀に建立された聖アファナーシー修道院もあった。

 水没するまで街には約7000人が暮らしており、移住には約4年を要した。丸太作りの家は分解し、川に流して運んだ。石造りの家や高い建物は、船の航行の妨げとならないよう取り壊された。 

 かつてのモロガ市民の大半はルイビンスク市の近くに移住した。ここには現在モロガ郷土博物館がある。

 時々かつてのモロガの市域で減水が起こり、廃墟が水上に姿を見せる。水没した街には多くの旅行客やダイバーが訪れ、水中に残る昔の街路や建物の遺構を見物している。

 

*モロガについて詳しくはこちら

 

2. ヴェシエゴンスク(トヴェリ州)

 モロガと同じ運命を辿ったのがヴェシエゴンスク(モスクワの420キロメートル北)だ。現在のルイビンスク人造湖の北部に位置した。モロガ同様に歴史ある商人の街で、迎賓館や富豪の邸宅、石造りの建物が立ち並んでいた。水没前、ヴェシエゴンスクには約6000人が暮らしていた。建物の解体は1940年に始まり、1943年には完全に水没した。時はすでに第二次世界大戦中で、男性は軍に召集されていた。移住作業は女性が行わなければならなかった。住民はかつて街があった場所の南のコルホーズに移住した。新たな街には同じ名称が付けられた。

 

3. タナ(ロストフ州) 

 ロシア南部、現在のアゾフ市の近郊には、イタリアの街ジェノヴァに因んだ名を持つ通りがある。ここには中世の要塞の一部だった古いジェノヴァの門がある。12世紀から14世紀まで、ここにはイタリア人商人が築いたタナという街があった。一方にジェノヴァ人が、もう一方にヴェネツィア人が住み、互いに絶えず争っていた。とはいえ街はモスクワからコンスタンティノープルへ続く交易路の上にあり、商業が栄えた。キプチャク・ハン国時代(13世紀半ば)にタナ(あるいはタン)はモンゴル=タタール人の手に渡った。街は無数の戦争を経験し、その度に再建されたが、1475年にトルコ軍の侵攻で陥落した。この時オスマン帝国が築いたアザク要塞は現在もアゾフの中心部にある。

 

4. サルケル(ロストフ州)

 サルケル(ハザール語で「白い要塞」の意)はツィムリャンスク人造湖の建設で水没した古代都市だ。遊牧民国家ハザール・ハン国の前哨基地として9世紀半ばにロシア南部、ドン川の畔に築かれた。サルケルは965年にルーシの支配下にはいったが、12世紀初めにポロヴェツ人に破壊された。住民は街を捨て、要塞の壁の一部を転用して自分たちの建物を作った。 

 1930年代、ソ連の考古学者らがこの場所で発掘調査を行い、サルケルの遺跡を発見した。城壁や塔、門、防衛線の遺構がかなり良い状態で保存されていた。出土品は現在ロシア各地の博物館、主にサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館とノヴォチェルカッスク博物館に収蔵されている。サルケル要塞はツィムリャンスク人造湖の建設によって1952年に水没した。ダイバーが今でも水中で遺跡を見つけている。

 

5. ネフテゴルスク(サハリン州)

 ロシア史上最大級の地震がサハリン島の居住地を完全に破壊した。地震は1995年5月27日の夜に発生し、17秒でネフテゴルスクを破壊した。3197人の住民のうち2040人が死亡した。証言によれば、ネフテゴルスクの建物は文字通り粉砕したという。「目を開けると、自分がアスファルトルーフィングの下の板に頭を乗せて寝ていることに気付いた」と当時10歳だったタチアナ・ミロノワは回想する。「再び意識が戻った時、人々の叫びと燃える板のはぜる音、14歳の兄の声が聞こえた。兄は板の間に挟まっているのが見えた。どうやって瓦礫から脱出したのかは覚えていないが、家族は全員生きていた。運が良かったのだと思う」。 

 生存者は別の居住地、主にユジノ・サハリンスクに移住した。現在ネフテゴルスクの跡地には、犠牲者の名を刻んだ記念碑が立つばかりである。