ソ連時代のちょっと不思議な店

ソ連特集
ロシア・ビヨンド
 計画経済だったソ連の市民たちには選択の自由がなく、服も同じ、住宅も同じ、家具も同じだったと思われがちである。しかし、実際にはソ連にもかなりさまざまな店があり、中にはとんでもなく変わった店もあった。

無線機器

 ソ連のコメディ映画「イワン・ワシリエヴィチの転職」では、イワン雷帝がソ連時代にタイムスリップし、元の世界に戻れなくなる。研究者シューリクが開発したタイムマシーンが壊れてしまったのである。映画の中で、シューリクはタイムマシーンを修理するのに必要な部品を見つけようと、ソ連の「無線機器部品」、「無線機器」という店を必死に探し回る。

 実際、「無線機器」の店はソ連の多くの都市にあり、ときに自分で部品を集めてラジオを作ったり、テレビを修理したりする腕利きもいた。もしかすると家でロケットを作ることができる強者もいたかもしれない。

放射線機器

 モスクワには、放射線物質が売られている「アイソトープ」という名前の特別な店があった。ソ連時代には核の平和利用を一般市民の生活にも取り入れようとしていたのである。放射性同位体の力で、じゃがいもを保管したり、水路の漏洩を予防したり、魚を数えたりすることができた。

 もちろん、誰もが放射性同位体を買うことができたわけではなく、特別な容器も必要で、その容器は店に返却しなければならなかった。この店について詳しくはこちらからどうぞ

合成繊維

 もう一つのソ連映画「ダイアモンド・アーム」の主人公がまったく同じガウンを売っている店を探して奔走し、「これと同じようなもので、真珠のボタンがついているのはないですか?」と尋ねるシーンがある。このセリフは、真のミームとなった。

 ソ連では基本的に衣類は天然素材で作られていた。ワンピースは綿またはキャラコ、スーツはウールという風に。しかし、女性たちはみな、外国の「クリンプリン」と呼ばれる合成繊維の洋服を夢見た。第一に合成繊維には明るい柄や色があり、第二に洗濯が簡単で、シワがよりにくかったからである。

 1950年代の末から1960年代にかけて、「合成繊維」の店がモスクワやその他の大都市の中心部にオープンするようになった。そこでは上着、スーツ、ドレス、ワンピースなどが売られていた。しかし、価格はかなり高いものであった(しかも静電気がすごかったが、美には犠牲があるものだ!)。

キノコ

 キノコはソ連の人々が特別な情熱を注ぐものであった(今もそうである)。多くの人たちがキノコ狩りに森に出かけ、キノコの種類に詳しく、どこに行けばキノコが見つかるのかよく知っていた。しかし、朝早く森に出かけられないという人もおり、キノコの店はそんな人たちのためにあった。

 ショーウィンドーには乾燥キノコが陳列され、大きな棚には塩漬けのキノコがあり、量り売りされていた。特に人気があったのは、アンズタケとアカハラタケであった。のちに、この店は「キノコとベリー」と呼ばれるようになり、そこではその他の森の恵みが売られるようになった。

試薬

 クレムリンからそう遠くないところに「試薬と高純度物質」という店があった。ソ連時代には「若きテロリストの店」というジョークがあった。というのも、学校の生徒たちがこの店にやってきて、化学の実験のための試薬を買っていったからである。

食料品自動販売機

 モスクワの中心部に本物の「プログレス」の店があった。それはソ連初の自動販売機がおかれていた店である。売られている商品の種類はそれほど多くなく、牛乳、ケフィール、リャージェンカなどの瓶詰めされた乳製品や缶入りのサワークリームなどがあった。またオープンサンドが売られ、植物油の量り売りもされていた。またこの店を訪れた人々は必ず、最高においしいカッテージチーズバーを買ったものだった。

1000の小物

 「1000の小物」という店は市民の間でとても人気があり、時代を象徴するものであったが、いまもまだいくつかは残っている。鍵、呼び鈴、釘、ボタン、スプーン、鉛筆、エコバッグなどなど、大量の家庭用品が売られていた。

中古品

 ソ連で大人気だったのが「中古品の店」。ソ連政府は闇の転売者を一掃するため、こうした中古品の店を大々的に展開した。何かを売りたい人と何かを買いたい人を仲介する(売りたい人から手数料をとって)店であった。店には多くの古いもの、誰にも必要のないガラクタや食器があったが、輸入物の靴や服などもあり、履き古したり修理されたものの中に、いいものが安く売られていることもあった。また古いながらも、高級なカメラやビデオカメラなどを買うこともできた。