ロシアのアパートの入り口に複数のドアがある理由は? 何を怖がっているのか…

ロシア・ビヨンド, Legion Media
 ロシア人にとって、アパートのドアの鍵を4~5つ持っているのはよくあること。中に入る前に大抵いくつかのドアを開けなければならないからだ。彼らは何かを怖がっているのだろうか?…

 「ロシアのアパートに入るのに、ドアをいくつも開けねばならない理由を誰か説明してくれないかな?私はホステルから賃貸アパートに引っ越したばかりなんだけど」。外国人の同僚が最近書いてきた。

 「このアパートには、3つのフロントドアがあって、しかも、そのうちの2つの間隔はたったの2㌢しかない!ここの人たちはまだクマを怖がっているのか?ひょっとしてまたナポレオンが攻めてくるとか?」

室内の物音に聞き耳を立てる

 プライバシーの問題は、1917年のボリシェヴィキ革命以前から、ロシアにいつもつきまとった。ロシアにはずっと、共同生活と集団決定の伝統があったからだ。

 農村のコミュニティだけでなく、教会もまたしばしば、そこに属する聖職者、関係者の暮らし方を規定し、私生活に介入した。

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 ソ連社会では、なるほど、人々は都市で個別のアパートに住み始めた。1950年代半ばから、ソ連の指導者ニキータ・フルシチョフにちなんで「フルシチョフカ」と呼ばれる安価な集合住宅が、ソ連のいたるところに建てられたので。

「フルシチョフカ」の建設作業、1964年

 ところが、これらのアパートのドアは、正確に言うと、木製とさえ言えない粗悪品だった。

 「私はあるとき、このいわゆる『ドア』を分解してみた。中には、木の角材があり、そいつも、あちこちが切れていて、木くずを固めた板でくっつけてあった」。ロシアのインターネット・フォーラムであるユーザーが書いている。

 こんなドアに防音効果がなかったのは当然だろう。台所にいると、階段の吹き抜けの足音がほぼ筒抜けだった。その逆もまた真なり、だ。

 こういうドアは、断熱も不十分だった。しばらく経つと、木が縮み、隙間風が吹き込むようになる。これら一連の理由で、ソビエト市民は、ドアに人工皮革を貼って改善したものだ。

モスクワのマンションのアパートドア、1975年

 この人工皮革は、「デルマチン」あるいは「fabrikoid」の商品名で売られていた。こいつを張り付けると、ドアがもっと「リッチに」見えたし、長持ちした。ソ連で新しいドアを探すとなると、数ヶ月かかるかもしれなかったから、これは大事なことだった。

なぜこんなに分厚いのか?

 もちろん、ソ連にも強盗、窃盗があったから、人々は、ドアが貧弱で簡単に破られることを非常に心配していた。

 では、なぜ国は市民に、盗難を防止できるアパートを提供しなかったのか。驚いたことに、ソ連共産党が押し付けた政治的な理由があった。ソ連当局は、鉄製のドアの製造と設置には費用がかかるだけでなく、共産主義のイデオロギー的基盤を損なうと考えていた。

 ボリシェヴィキ政権からすれば当然だが、一切が人民のものであり、しかも警察が任務を完璧に遂行している国で、なぜ鉄の扉が必要なのか、鉄の扉の後ろに何を隠したいというのか、というわけだ。プライバシーの水準が低い社会では、自分自身を周囲から「分離」させようとする者は誰でも疑惑を呼び、ゴシップになるだろう。

*もっと読む:ソ連時代の生活は何が問題だったか:当時を知る市民たちにインタビュー 

 ソ連時代の末期には、分厚い多層構造のドア、あるいは複数の鉄製ドアを設置することが重要になった。また、泥棒の窓からの侵入を防ぐ鉄格子も登場した。

 なるほど、2部屋しかない30㍍平米のアパートには、何百万ドルものダイヤモンドその他のお宝はあるまいが、それでも、格好いいドアを設置して近所の人に見せびらかすことはできる。 

 しかし、分厚い何枚ものドアが人気なのは、明らかにその背景にある心理的理由だ。薄っぺらくてちっぽけなドアの背後で何年も不安に苛まれてきた後で、彼らは今や、何枚ものドアを設置することでストレスの過剰補償をやっているわけだ。

ソ連のアパートのドアのほとんどはなぜ内側に開くのか?

 繰り返し語られるソビエト神話がある。ソ連のアパートへのほとんどのドアは、秘密警察のために、内側に開くようになっていた。つまり、KGBは、危険人物が立てこもった場合に備えて、アパートに簡単に入れるようにしたかったのだ、などと言われている。

 もちろん、これは完全なフィクションだ。KGBは、ドアの厚さや開く方向にかかわらず、必要とあらば、簡単にそのアパートに侵入したり、ドアを破壊して踏み込んだりできた。

アパートで取り締まりを行う警察員、エカテリンブルクにて

 本当の理由ははるかに単純で、フルシチョフカの階段がごく狭いことだ。ドアが外側に開くように作ると、階段の吹き抜けにさらに広いスペースが要る。

 また、アパートによっては、自分たちのドアと隣家のドアが近すぎて、隣人が鍵や錠鍵をいじっている間に、ドアを開けてうっかり隣人をぶっ叩くこともあった。こういう理由で、ドアは内側に開くように作られたのだ。

 ソ連崩壊後の1990年代になると、多くの人々が、ドアを替える際にフレームも替えて、外側に開くようにして、アパート内のスペースを増やした。

 滑稽なのは、ロシア人がいまだいぶ厚いドアに執着し続けていることだ。

ロシアのアパートの2つのドア

 「私は、こんな家のこんなドアの向こうで夜を過ごすことなど決してできない。ましてや妻子をそこに残していくなんて、とんでもない。『誰でも勝手に入ってきてくれ!』というようなものだ。万一何が起きるか分からないよ!」

 ロシアのネットユーザーは、自宅のアメリカ製のガラスと木でできたドアについてこう書いている。彼の言うことに一理あるだろうか?コメント欄にご意見をお書きください!

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