なぜロシアにはプライバシーがないのか?

Anton Novoderezhkin/TASS
 「子供はいつ作るの?」、「あなた、ちょっと太ったわね」、「あなたってほんと敏感だよね!」。ロシアでは多くの人々が、プライバシーが侵害されたと感じるような場面に、1日に何度も直面する。これは教育がなっていないせいなのか、それとも文化的特徴なのか?

 店のレジに並ぶごく普通の行列でこんなことはしょっちゅうある。今はコロナ禍だというのに、後ろの誰かがうなじに向かって咳をしたり、カバンで押してきたりする。また多くの人々が家庭の中でも苦しんでいる。たとえば両親や親戚が、「いつ結婚するの?」、「子どもはいつ作るの?」などの質問を浴びせるからである。あるいは成人した子どもの生活について―たとえば仕事探しや恋人のことから部屋の片付けや生活習慣にいたるまで口出しをしようとする親も多い。

 

ソ連で生まれた人々 

 ロシアには有名なアネクドート(小噺)がある。「なぜ赤の広場でセックスをしてはいけないのか?それは周りの人々の助言がうるさいからだ」。「ソヴェトの国」の遺産は頼んでもいない助言(ロシア語でソヴェトをいう)であり、社会主義の遺産は、誰もがすべてに関与しているということである。

 高等経済学院社会階層研究センターの主任研究員のナタリヤ・チホノワさんは、「ソ連時代は、国民のほとんどを占めていた労働者と農民の文化が支配的なものでした。そしてこれらの人々にとって特徴的な物事が標準になったのです」と説明する。「彼らにとって、収入に関するテーマや家庭内の話というのはタブーではなかったのです」。

 ソ連で作られた公共住宅コムナルカは、1人になる機会や私生活を秘密にしておく機会を完全に奪い去った。革命後、贅沢な貴族の屋敷や住居は「均され」、その中の各部屋に誰か、または場合によっては一家族が住むようになった。これは社会的不平等との戦いであったが、シャワー、トイレ、キッチンは共有であった。

 そこで1950年代に人々に個々の住宅が与えられるようになったとき、たとえそれがどんなに小さい家であっても、自分だけの家であるだけで誰もが幸せだった。

加えて、ソ連には社会による監視システムがあった。不倫をした者、あるいはアルコール依存の者は、職場で仲間うちの裁判にかけられ、解雇されることもあった。学校や大学で勉強をしない生徒に対しては、よくできる生徒たちが強制的に支援を行ったりした。

 このように、長年にわたって、そもそも存在すらしなかった「私生活」への介入が続いてきた結果、プライバシーという概念はまったくなくなってしまった。そしてそのような事情が今も残っているのである。

 

ロシア語にプライバシーという言葉はない

 アメリカのジャーナリスト、ジュリア・ヨッフェはロシアで数年働いた後、アメリカに帰国したとき、こう書いている。「薬局で並んでいるときに、誰かが肩越しに覗き込んで『なぜそんなに高い薬を買うの?』と訊いてくることを懐かしく思い出すことはないでしょう(ロシアにはプライバシーという言葉はないのか?)」。 

 英語の「プライバシー」という言葉を辞書で調べると、「1人でいること、他人から干渉を受けないこと」とある。言語学者によれば、実際、これとまったく同じ意味を持つ言葉はロシア語にはないという。文章によって、ロシア語には「個人の」、「自分だけの」、「独自の」、「内密の」などという別の単語があるが、いずれもプライバシーという言葉のニュアンスを厳密に表すものではない。

 言語学者のタチヤナ・ラリナさんは、「個人の自律性」という表現が一番ピッタリくると指摘する。1人になる権利というのは、英語では重要な文化現象なのである。「わたしの家はわたしの要塞」という表現があるほどだ。しかし、ロシアの文化にこの概念はそれほど広まっていない。なぜなら、ロシアで干渉されない私生活というのを知っているのは、法律家だけだからである。

 

個人の空間の軽視

 新型コロナの感染者が爆発的に増加する中、ロシアではソーシャルディスタンスを守る人は少ない。行列についているときによく起こることであるが、高齢者たちは、前の人にかなりピッタリくっついてくるのである。

 「最近、わたしはある女性に少し離れてくださいと頼んだくらいです。しかし彼女はそれを聞いて、立腹してフンと言いました」と話すのは、モスクワで経理を担当するエレーナさん。「多くの人が、ソ連時代からの習慣で、1㍍以上くらいの間隔を開けて立つと、誰かが必ず割り込みすると考えているのです。道路での車間距離もそれと同様です」。

 もう1つ、プライバシーに敏感な人々にとっての試練と言えるものがある。それは公共交通機関である。ラッシュアワーには世界のどの地下鉄も群衆でいっぱいであるが、皆押し合いへし合いになりながら、同じように苦しんでいる。しかし、そんな状況においても、ある一定の行動の規則があることがわかる。モスクワの年金生活者であるアレクサンドラさんは次のように話している。「地下鉄で座っていたときのことです。わたしの前に立っていた女性の持っている大きくてあまりきれいとはいえない袋が、わたしに何度も当たるので、その女性に袋をしっかり持ってくれませんかと頼んだら、袋をどこにやれというのか、これが気に入らないなら、自分の車で移動しろ、ここはあなた1人の場所じゃない・・・と延々と怒りの言葉を聞かされることになったんです」。

 

ショックを受ける外国人

 さて、ロシア人は個人の空間を侵害されることに慣れているが、ロシアに住む外国人は、ときに、その場にそぐわない行動にショックを受けることがある。イタリア出身のルチアさんは、ロシアに住んで数年になるが、そのような状況に何度か陥った。ルチアさんが通っていたロシア国立言語大学の寮長は、事前に知らせることなく、ノックもせず部屋に入ってくることがあり、タオルを巻いただけだったり、パジャマを着ていたりしても、まったく恥ずかしがることもなかったという。「友達が、これは私生活というもののイメージがない、ソ連のメンタリティーなのだと教えてくれました」とルチアさんは言う。

 フランス人のエルヴァンさんは、ロシアの様々な都市に住んだが、ロシア人のこの「文化的特徴」を実感したことが何度もあり、今やもはや驚かなくなったと話す。中でも分かりやすい事件はニジニ・ノヴゴロドで起きた。エルヴァンさんは1年、大学の近くのアパートを借りていたが、オーナーは最初から彼を息子のように感じ、毎週日曜日になると、まるで父親のように早朝から家を訪ねてきて、1日中、おしゃべりをしたというのである。エルヴァンさん曰く、フランスでは最低でも、訪問することを伝えるし、誰かと会うときは前もって約束をするのだという。

 一方、あまり親しくない人から、私生活についての質問をされるというのも、外国人には避けられないことであるらしい。エルヴァンさんは笑って言う。「知り合ってすぐに、結婚しているのかと訊かれたことは何度あったか分かりません」。ルチアさんは、最初は、よく知らない人に「給料がいくらか」、「結婚する予定はあるのか」、「子供は欲しいか」などというあまりに個人的な質問をされることに最初はイライラしたという。しかし、次第にそれにも慣れ、今では驚くことも、戸惑うこともないという。

 アメリカで育ち、多くの国に暮らして着たロシア人のマリヤさんは言う。「ロシアでは、医者ですら境界線を知りません。婦人科医は必ず、いつ子どもを作る予定かと訊きます。そしてまだ作る予定はないと答えると、必ず、なぜかと尋問されるのです」。しかし彼女は、これを性格が悪いとか教育がなっていないという風に捉えてはいけないと助言している。「ロシア人は概して、何事にも興味津々で、オープンで、人助けしたいと思っています。ロシア人はあなたのパーソナルスペースを侵害してやろうとか、誰かを困らせてやろうと思っているわけではありません。これは単にそのような国民的特徴なのです。わたしはあまり深刻に捉えないようにすることを学びました」。

流行しているプライバシー 

 プライバシーは存在した一部の社会階層が常にあった。革命以前、貴族が持っている特権であったが、ソビエト時代は高学歴のインテリゲンチャ(知識階級)が享受したものであった。聞いてはいけない質問もあり、個人的なスペースの概念も存在した。

 「最近、親族との境界線の構築と分離について心理療法士の相談を受ける人が多くなった」心理サービスYouTalkのガリーナ・ライシェワさんはいう。「引っ越しても、親に過度にコントロールされ、頭の中に支配されているように感じている人が多い」。さらに、自分の感情の認識と感情的知性の開発が流行するようになっているとライシェワさんが付け加える。

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