隠れた川:モスクワのトンネルを流れる6本の川

Museum of Moscow; SkyFi (CC BY-NC 3.0)
 モスクワには地下を流れる数多くの河川や小川があり、なかにはとても長いものもある。

1. リホボルカ川

トンネルに入るリホボルカ川

 リホボルカ川はモスクワでもっとも長い地下河川である:全長18キロのうち地下部分は14キロに及ぶ。この川の名は、町の2ケ所で目にすることが出来る。ドミストロフスコエ街道の周りに広がる森はかつて「リホイ・ボル(向こう見ずの森)」と呼ばれていた。なぜなら、この森にはかつて盗賊が住んでいて、旅行者を襲っていたので、川の名前もこの森の名がついたのかもしれない。もしくは、近くにある2つの村、大リホボルィ村と小リホボルィ村から名が来たのかもしれない。 

 モスクワ市境まで数キロのところから始まるこの川は、モスクワ環状道路を横切り、リホボルスカヤ堤防に沿って地上を流れ、それから地下に潜り、数キロ後に再び地上に現れる。 

 川はまたトンネルを通って、やがてヤウザ川に合流する。ピョートル大帝の時代に、リホボルカ川などの数々の河川を数珠のよう結ぶ運河を掘って、モスクワ川とヴォルガ川を繋げるという考えがあった。しかし、18世紀の初めにはこのような計画を実現するのは不可能であった。しかしながら、この川はウラジーミル(モスクワの北東180キロにある)への水路の重要な一部であった。リホボルカ川の周辺はひどい湿地帯であったが、地下を流れるようになってからは、かつての地域はかなり密集して作られた。同じような恩恵は、他のベスクドニコフスキー小川などにももたらされている。

2. ネグリンナヤ川

17世紀のネグリンナヤ川の流れ口

 ネグリンナヤ川(「ネグリンカ」とも呼ばれる)は、モスクワでもっとも有名な地下河川である。名前についてはいくつかの異なる由来がある。たとえば、小さな湿地を意味する「ネグリノク」が由来だと言う説がある。ネグリンナヤ川は全長7.5キロで、モスクワの北部から始まり、中心部を通って南部まで流れ行く。ネグリンナヤ川は時とともに徐々に汚れていった。地元の市民たちが川にゴミを廃棄した上に、モスクワには何百年もの間排水システムがなかったからだ。しかも、大雨の後には川は氾濫して近くの通りにあふれる。これらの問題は、多くの地下河川にかつて共通していた。18世紀の終わりには、この臭くて危険な川は、用水路になり、1810年になって地下化された。それによって、川にゴミを捨てられることはなくなった。しかし、排水システムがモスクワに登場したのは、18世紀から19世紀にかけてのことであった。

 しかし、最初のトンネルは小さすぎて水位を保つことは出来なかった。そのため、追加のパイプがネグリンナヤ川につくられた1970年代にいたるまで頻繁に水が溢れ出た。 

ツヴェトノイ大通りを流れるネグリンナヤ川の想像図

 2021年に、ロシアの都市生活にかかわる会社が、都市における暮らしを改善するために、川を再び地上化することを提案したが、モスクワ当局はこれは実現困難な事業で、また費用がかかりすぎるとして、これを拒絶した。

3. チュラ川

ダニロフスキー墓地近くのチュラ川の地上部

 チュラ川はモスクワを流れる古くて小さい川である。専門家もこの川の名前の由来は正確には知らない。「チュラ」には砂丘や砂州という意味があるからだという説もあるし、境を意味する「チュール」から来ているという説もある。チュラ川の全長は7.3キロである。モスクワの南西部から始まり、北東に流れ行くが、途中に500メートルの地上部がある。その後、川は地下に戻り、まもなくモスクワ川にノヴォダニロフスカヤ堤防あたりで合流する。モスクワの多くの小河川がそうであるように、チュラ川は19世紀に地下化された。現存しているトンネルの最古の部分は1906年に作られたものである。トンネルの壁は花崗岩、丸い天井部分は白石製である。このような川によくあることだが、チュラ川のトンネルは、モスクワ地下鉄や他の施設から溢れた水を排水するのにも使われている。

4. タラカノフカ川

地上を流れる1950年代のタラカノフカ川

 タラカノフカ川の名の由来は、何らかの固有名詞であろうが、調べてもどれがそうなのかよくわかっていない。川の名になるまでに、もともとの言葉が大きく変化してのだと思われる。タラカノフカ川の長さは、およそ5キロである。モスクワ北西部のヴォイコフスキー地区から南西に流れ行き、モスクワ川に合流する。流れ出し部からそう遠くないところから、300〜400メートルの間は地上に出ている。

 この川は住居建物や工業施設、輸送施設を通って流れている。2009〜2012年の間、タラカノフカ川はその水源近くの地下道路のトンネル工事が原因で大きな被害を受けた。建設作業者が建設用粘土を川に廃棄したのである。それによって、2キロにもわたって川底には1.5メートルの厚さの粘土が堆積した。タラカノフカ川はこれによる汚染水をモスクワ川に流しこんだだけでなく、大雨の後には水が溢れ出した。この道路トンネル工事はその後タラカノフカ川の清掃作業にもつながり、川は新たに建設された地下トンネルを流れることになる。

5. プレスニャ川

ゴルバティ橋とホワイトハウス

 プレスニャ川は、最も古い小さい地下河川のひとつ。その伝統ある名は、おそらく「きれい、新鮮な」という意味の「プレスヌィ」から来ているのだろうが、シーニチカ川という、非公式な別名もある。これは、プレスニャ川を讃える意味の言葉から付けられたと思われる。つまり、この川の水の「青さ(シーヌィ)」から来たのだろう。プレスニャ川の全長はおよそ4.5キロで、モスクワ北西部にある「ディナモ」スタジアムの近くから始まり、南東方向にモスクワ動物園を通って流れ、モスクワ川に合流する。

 プレスニャ川は1908年に地下化された。それ以前は、この川は多くの池を結んで流れていた。しかし、今は、モスクワ動物園の敷地内にある池を経るだけで、それ以外の池は全て姿を消した。プレスニャ川を偲ぶことが出来るもう一つは、かつて川をまたいでいたゴルバーティ橋。この橋はホワイトハウス(ロシア連邦政府庁舎)の近くにある。

6. チョルトリー川

チョルトリー川のトンネル

 モスクワの地下水路システムは比較的大きな地下河川のみで構成されているわけではない。多くの小河川も使われている。たとえば、市中心部を流れるチョルトリー(チョルト・ロイともチョルト・ルィとも表される)小川がそのひとつである。この小川は、「チョルトリィ」と呼ばれる深い渓谷を形成している。この谷は悪魔が掘った(ロシア語で「チョルト・ルィル」と言う)とされているからだ。この呼び方はモスクワの多くの渓谷でされていたが、ここは何百年もわたって残り、小川の名にもなった。チョルトリー小川の長さはおよそ2キロ。始まりは、市中心部の北西部で、南東方向に流れ、救世主ハリストス大聖堂近くでモスクワ川に合流する。チョルトリー小川が地下化されたのは19世紀。周辺のチョルトリー地区はこの小川から名が付けられた。かつてここは、多くの伝説とともに怪しい神秘的な場所であるとされていた。今では、ハモヴニキ地区の北部にあたる。

ゴゴレフスキ―大通りのチョルトリー川が地上に戻った想像図

 ネグリンナヤ川と同じように、都市生活の改善を考える人たちはこの川を地上に戻す考えを持っていた。しかし、これまでそれを実行に移そうという具体的な計画はまったくない。

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