ソ連の洗濯事情

モスクワのセルフサービスのランドリー「チャイカ」

モスクワのセルフサービスのランドリー「チャイカ」

Viktor Chernov/Sputnik
 大都市では洗濯機の登場が問題を解決してくれたが、田舎では今もまだ川や池で洗濯用の橋を目にすることができる。

 ロシアの地方都市に行ったことがある人なら、川や湖の岸から水に向かって木製の台のようなものが設置されているのを見たことがあるだろう。この小さな橋は、魚釣りのためでも、水中の生物を観察するためでもなく、洗濯のためのものである。

ビリューサ川で絨毯を洗濯する女性、クラスノヤルスク地方

 今から100年前、洗濯は、モスクワでもペテルブルクでも、とても大変な家事のひとつであった。とりわけ、戦前はまだ水道がどこの家にもあるわけではなかった。現在は、この橋を使って洗濯するのは絨毯くらいで、しかも水が温かい夏だけである。

左側:スホン川で洗濯、ヴォルゴグラード州、1950年。右側:モスクワ川で洗濯する女性。1925年

 家庭で洗濯をするときには、桶と表面に突起物がついた洗濯板を使った。洗濯物は洗濯板で洗い、その後、石鹸水を入れた桶ですすいだ。洗濯洗剤の代わりに、台所用の固形石鹸が使われることが多かった。この文章だけを読めば、簡単な作業のように思われるかもしれないが、実際はかなり大変な仕事で、板の表面で手を傷つけることもあった。その代わり、電気に頼らなくても洗濯できた。

ソ連映画『モスクワは涙を信じない』

 シーツ、シャツ、タオルなど、白い物は洗濯する前に水につけおいた。熱湯に、台所用の固形石鹸を削って入れて溶かし、そこに洗濯物を入れて、数時間そのまま放置する。とくに汚れたものは、石鹸水を溶かした水に重曹を入れて煮沸することもあった。台所用石鹸にはアルカリが含まれていることから、油汚れをきれいにすることができたのである。

クズバスの療養所防止施設のランドリー、1981年

 ソ連で洗濯機が誕生したのは1950年代半ばである。簡易型の「ヴャトカ」、「リガ」、「ウラル」、「オカ」を購入するには数ヶ月待たなければならなかったが、洗濯機の登場で家事は大幅に楽になった。これらの洗濯機の構造はどれもほぼ同じで、「モーター付きバケツ」と呼ばれた。この大きな箱をバスルームに運び、蛇口から水を注ぎ、12週間溜めておいた洗濯物をまとめて洗った。それから柔らかい排水用のホースをバスタブに入れ、洗濯後の水を流す。洗濯機はとても便利に使え、注水や排水もそれほど問題ではなかった。唯一の問題は、脱水機能というものがほとんどなかったことである(脱水用のローラーは付いていたのだが、うまく絞れないため、誰も使っていなかった)。そこで、石鹸水で洗った洗濯物を洗濯機から出した後、手で絞り、バスタブに水を入れてまたすすぎ、絞り、またすすぐ・・・という作業をしなければならなかった(これが洗濯の工程でもっとも疲れる作業であった)。

住宅で置いた最初の洗濯機の一つ、1958年

 ソ連の技師たちは、設置するのにあまり場所を取らず、少量の洗濯にも使えるような小型の洗濯機を開発した。最初のモデル名は「マリュートカ」で、その後、この名称はこうした小型の洗濯機の総称となった。この小型洗濯機はいまでもロシアで売られており、ダーチャ(郊外のサマーハウス)でとくに人気がある。それもそのはず、重量は10キロ以下で、値段も普通のものの3分の14分の1であるが、最大4キロの洗濯物を洗うことができるのである。

小型の洗濯機「マリュートカ」、スヴェルドロフスク、1984年

 ソ連の洗濯機の大転換期となったのは1970年代末。半自動洗濯機「エヴリカ」の製造が始まったのである。この半自動洗濯機は高価であったが、手に入れるのには「コネ」が必要であった。この洗濯機には台がついており、「鉄橋」のように重く(ほぼ80キロ)、まだホースを蛇口につなぐタイプのものであった。しかし、従来のモデルと異なり、自動で脱水とすすぎができた。しかし、脱水の際に洗濯機がガタガタと激しく揺れるため、下に専用の台を置く必要があった。1980年代に幼年時代を過ごしたモスクワ出身のワーシャ・シャポワロフさんは、当時を振り返り、次のように話している。「脱水が始まるといつも祖母が祖父に向かって、洗濯機を押さえてくれと頼んでいました。それで2人で洗濯機を上から抱え込むようにして、全工程が終了するまで押さえていました。しかもその音といったら、ものすごいものでした」。

 その後、全自動洗濯機「ヴャトカ全自動」が登場したが、かなり珍しい存在であり、値段もロケット並みであった。

洗濯機「ヴャトカ全自動」、1978年

 ソ連では、洗濯機とときを同じくして、合成洗剤が作られるようになった。ソ連初の洗濯洗剤「ノーヴォスチ」は1953年に発売された。原料は動物性の硬化油であった。1960年代の半ばになると、洗剤の種類は増え、「エラ」、「ロータス」、「アストラ」、「ルーチ」などが販売されるようになった。これらの洗剤は粉洗剤であったが、ペースト状のものもあった。においはよくなかったが、どんな頑固な汚れも落としてくれた。あるロシア人は次のように回想している。「ペースト洗剤は、洗濯はもちろん、手を洗うのにも、床を掃除するのにも使うことができました。いまでも、油で汚れた手や自動車を修理したときの手の汚れを落とすのに、これ以上の洗剤はありません」。

チェリャビンスクの洗濯工場、1935〜1940年。

 ソ連政府、とりわけ建国当時の政府の目的の一つは、女性を「家事の奴隷」から解放することであった。そこでソ連全土に、食堂、厨房・食品工場、巨大な自動の洗濯工場が作られるようになり、多くの家事を軽減した。洗濯店には、企業の職員向けのものと、誰でも利用できるものがあった。クリーニング工場で働く職員には、その他のあらゆる職場同様、独自の基準があった。

セルフランドリーは「チャイカ」

 1970年代、大都市ではセルフサービスのランドリーが出現した。モスクワで最初のセルフランドリーは「チャイカ」というところで、安価な料金で、衣類を洗濯、乾燥することができた。ここではアイロンをかけることもでき、クリーニングに出すこともできた。

ノヴォシビルスクのランドリー、1973年

 現在は、洗濯機のない住宅など想像できず、ソ連時代に大きく発展した巨大な洗濯会社は今では必要とされていないが、それでもロシアのどの都市にも、公共のランドリーやクリーニング店はある。こうした店には、カーペットやベッドカバー、コートなど、家庭では洗濯しにくいものを持っていくことが多い。

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