ソ連の街路や公共空間を清掃する任務は自治体に任せられた。彼らが使った清掃車は、その外見から、しばしば愉快な(時に翻訳困難な)名前を付けられた。
清掃設備はたいてい普通のトラックの車体に取り付けられた。
こうしたトラックの一つがPU-2で、GAZ-AAトラックをベースにしていた。この車が、以後登場するソビエト公共清掃トラック・シリーズの基礎になった。
冬には除雪車として用いられた。
初期のPU-2は後部に大きくて広いブラシがあり、側面から小さなブラシが突き出ていた。しかし、この構造には短所もあった。トラックは重すぎ、運転が難しかったのだ。そのため、1938年にはPU-5に更新された。
すべてのブラシを同じ大きさにすることで、車両の重量を減らし、速度と操作性を上げることに成功した。
ソ連は1945年から1946年にかけて新車両のPU-7を約40台製造した。
1936年にはすでにYAG-4トラックの車体をベースにしたPM-4散水車が登場していた。
前面に2本、側面に2本、計4本のノズルに加え、給水タンクを搭載していた。
1944年7月17日には、敗北したドイツ兵が行進した後のサドーヴォエ環状通りをPM-4が清掃した。
次第にノズルも改良されていった。散水効率が向上し、均等に水を撒けるようになった。
PM-4は冬期には除雪車として用いられた。
新型のPM-6散水車はZIS-5トラックをベースにしており、1945年にモスクワの街に現れた。長方形の給水タンクとポンプ、3本のノズルを搭載していた。
一方、レニングラード(現サンクトペテルブルク)ではこの車が使われていた。
GAZ-51をベースにしたPU-20散水車は1950年代に現れた。
この車は5本のノズルと3本のブラシ(両脇に1本ずつと後部に1本)で道を清掃した。速度は平均で時速9~20キロメートルであり、最高速度は時速40キロメートルだった。
続いて1960年代にはGAZ-52-02トラックに搭載できるPU-53が登場した。
PU-53は散水ブラシ清掃システムと2つの交換可能なゴミ収集コンテナから成った。
吸引ホース付きのブラシを持つ黄色いVPM-53トラックは、さながら車型の掃除機だった。
MP-10は1950年代に現れた。バンパーに2本、側面に1本の散水ノズルが付いていた。
1970年代、新世代の散水車が現れた。ZIL-130をベースにしたこの車両はPM-130と名付けられた。外見が現代風になり、操作性も向上した。
PM-130は幅15~18㍍の道路を清掃できた。
1970年代末から1980年代初めにはKO-304、KO-309、KO-002が導入された。
ちなみに、現在のロシアではこんな車両が使われている。
ソビエト時代のトロリーバスの写真を見るにはこちらからどうぞ。
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