ソ連の「スボートニク(勤労奉仕)」(写真特集)

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ロシア・ビヨンド
 なぜ、ソ連市民は休日にシャベルや熊手を手に外に出たのか?

 雪かき、ゴミ掃除、落ち葉掃き、植樹や花壇植え。現在、こうした活動は市政府やエコ活動家の仕事になっているが、ソ連時代は春になると必ず、ほぼ全員、外に出て、家の周り、学校や大学の周りをきれいにするため、こうした勤労奉仕をしなければならなかった。この勤労奉仕は「スボートニク」と呼ばれた。というのも、こうした作業は公式的には休日であった土曜日(スボータ)に行われたからである。

 最初、これはボランティアであった。人々は皆の福祉のために熱心に勤労した。作業に参加したくない人たちは、怠け者だと後ろ指をさされた。しかし後に、スボートニクは強制的なものとなり、学校の生徒たちは放課後に学校の周りを清掃しなければならなかった。

 最初のスボートニクが始まったのは新たなソ連国家が樹立されたばかりのときで、積極的に宣伝された。1920年4月1日から5月1日にかけてはいわゆる「赤い労働月間」が実施された。

 ちなみに、スボートニクは現在も行われているが、かつてのように大規模なものではなく、専ら自発的なものである。

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