ロシア国内外の冷戦の遺物(写真特集)

 75年前、ウィンストン・チャーチルは「国際問題」の原因としてソビエト連邦を名指しし、新時代を開いた。冷戦は彼の「フルトン演説」をもって始まったとされており、それから半世紀にわたる軍拡競争と第三次世界大戦勃発危機の時代が訪れた。激しい緊張の時代の「記念碑」として、冷戦期の施設の一部が現存している。

1. レーダー基地「ドゥガー」

 これはチェルノブイリ地方にあったソビエト軍の大陸間弾道ミサイル早期発見レーダー基地だ。4000キロメートル以内の目標を追跡でき、文字通り地平線の向こうまで見渡せた。

 ラジオ放送に紛れ込む特徴的な音(ヘリコプターの羽音に似た連続音)から、この基地は「ロシアのキツツキ」と呼ばれていた。 

2. ソビエト軍のM-4爆撃機

 80トンの巨体はNATOの専門家から「バイソン」と呼ばれていた。M-4は米軍のB-52に先駆けて世界初の核爆弾大陸間運搬機となった。

3. 旧核ミサイルサイロ 

 かつてこの中には、最大2.3メガトン級の核弾頭を2000キロメートル先まで飛ばせる弾道ミサイル「ドヴィナR-12」があった。サイロの深さは30メートルだ。

4. オブジェクト825GTS

 クリミアのバラクラヴァ湾にある旧極秘潜水艦シェルターは、今では複合博物館となっている。かつてはバラクラヴァ市とその湾自体が極秘軍事施設であり、中でも最高機密だったのがタヴロス山に掘られたこの施設だった。

 ここに原子力潜水艦と搭載兵器が隠され、メンテナンスされていた。150トンの水門と基地の分厚い壁は核爆発にも耐えられる設計だった。

5. モスクワ・タガンスクの第42地下壕

 モスクワ中心部の地下65メートルに地下壕がある。核攻撃があった際にヨシフ・スターリンと政府高官が避難するために作られたものだ。

 1950年代、総面積7000平方メートルの施設を極秘裏に(モスクワ市民にも知られずに)作ることはかなりの難題だった。その後1986年まで30年間にわたって、核兵器を積んだ戦略爆撃機に対する指令がここから行われていた。現在、ここは冷戦博物館になっている。

6. 防空システムS-25とA-35

 現在、これらの球状の防空システムはモスクワ郊外にあり、(警護されているものの)廃墟となっている。敵からの攻撃をいち早く伝える目的で、50年代初頭にナロ=フォミンスク郊外に作られた。

7. 「ポータル」

 チュクチ半島の岩盤にくり抜かれた一キロメートルのトンネルは、長距離爆撃機用の飛行場だった。軍の計画では、爆撃機はここで核爆弾を載せ、米国まで一時間未満で運ぶことになっていた。西側の情報機関を混乱させるため、この場所には「マガダン11」「アナディリ1」「オブジェクトS」「グドィム」など、さまざまな名称があった。職員らは単に「ポータル」や「穴」と呼んでいた。

 施設の情報は極秘で、ここで働いていた専門家らも「ポータル」内のすべての施設の場所は把握していなかったという。

8. カザフスタンのセミパラチンスク旧核実験場

 カザフスタンの荒涼としたステップ地帯にある、面積18.5平方キロメートルのこの場所で、40年間原水爆実験が行われていた。カザフスタン東部全域が放射能汚染される原因となり、被害者の数については諸説あるものの、150万人は下らないとされている。

9. チェコのソビエト軍核弾頭保管庫

 敷地は現在もチェコ軍の管理下にあり、軍事利用はされていないものの、警護されている。かつては最高機密だった施設「ヤヴォル51」は理想的な状態で保存されており、今では博物館になっている。

10. ブダペストのソビエト軍病院

 1991年、ソ連軍はハンガリーから撤退し、ソ連の軍病院も無人となった。施設の再活用法は見つかっておらず、内部は異国の歴史を留めている。

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