大々的に宣伝されたのがソ連の缶詰。たとえば、缶詰のスプラットからは、これほどたくさんの料理を作ることができるのである。
缶詰にすることで、人々はカニなどの珍味も食べることができた。
現在、カニは非常に高価であるが、ソ連時代はカニもキャビアも簡単に手に入れることのできる食品であった。
魚以外の缶詰もあった。そんな一つがコーン缶であった(ポスターには小さな文字でコーンスープの作り方が書かれている)。
トマトは今でこそ一年中、どの店でも買うことができるが、ソ連時代は冬の間は缶詰かトマトペーストしか手に入らなかった。トマトペーストはボルシチに加えられた。
ウィンナーや脂肪分の少ない「ドクトル」ソーセージは安価で人気があった。しかし、肉が少なすぎるということを揶揄したジョークがたくさんあった。
牛肉はなかなか手に入らない食品であったため、ビーフ味のキューブ形の固形ブイヨンで作るスープが宣伝された。
ソ連の住民は紅茶が大好きだったが、本物の紅茶はほとんどなく、その代わりにあったのがお茶風飲み物であった。
お茶にはお茶うけが必要であった。そしてそれには「クラースヌィ・オクチャーブリ(赤い十月)」の商品が好まれた。
ワイン、ウォトカ、リキュール、果実酒、浸酒、缶詰、魚、お菓子、マッチ、タバコ、塩、砂糖・・・。これらは消費協同組合で買うことができます!(こうすることで、コルホーズから製品を購入していた組合を国家が支援していた)。
「ロスグラヴピーヴォ」は人々に、自分の権利をしっかり主張し、きっちり0.5リットルの線までビールを注いでもらうよう要求するべきだということを教えた。
グラヴピーヴォは、ユニークなソ連の飲み物、ソヴェツキー・ポーターや甘い炭酸水「クレム・ソーダ」なども宣伝した。
食品産業省には植物油脂部門があった。ソ連では安価なマーガリンが一般的で、焼き菓子などにバターの代替品として使われた。
ソ連では多くの主婦たちがペリメニを作ったが、冷凍ペリメニを買うこともできた。ポスターにはお酢とサワークリームを添える食べ方が描かれているが、この組み合わせは今でももっとも人気のあるものの一つである。
ソ連では、肉にも魚にも合い、どんな料理もよりおいしくしてくれるものだとして、マヨネーズを大々的に宣伝した。ちなみにマヨネーズの瓶は返却でき、廃棄物を出さずに済むという素晴らしいシステムになっていた。
新年に必ず飲むシャンパン、ソヴェツコエ・シャンパンスコエは、シャンパーニュ以外で作られている世界で唯一シャンパンの名を冠する飲み物である。
ソ連にジンがあったことを知っているだろうか?グラヴリケルヴォトカは渋みのある浸酒ズブロフカやアルコール度数の高いライ麦パンでできたウォトカ、スタルカを宣伝した。
ソ連の人々に愛されたお菓子、リンゴのポヴィドロ。パンに塗ってもよし、紅茶と一緒にスプーンで食べてもよし。また公共の食堂ではこれを入れて焼いたピロシキが人気であった。
ソ連にはペンギンは生息していない。が、アイスクリームは存在していた。
今でも人気のおいしい乳酸飲料、リャージェンカ。