「ウラル」をもっと知ろう:ロシア国外で人気のソビエト・バイク

ライフ
ヴィクトリア・リャビコワ
 モスクワから1500キロメートルのところにある小さな工場は、サイドカー付きのバイクを一日に5、6台生産している。このバイクには、ブラッド・ピットやスティーヴン・タイラーといった有名人も乗っている。不思議なことに、このバイクはロシアではあまり売れていない。どうしてなのだろうか。

 カリフォルニアのどこかの道路で、レトロなロマン映画から出てきたような鮮紅色のオートバイが颯爽と走る。ハンドルを握るのは髭を生やした大男で、サイドカーにはグレイシーが、ヘルメットは付けず、スキー用ゴーグルを付けて座っている。グレイシーはもう8歳で、しっかりと座っており、外に飛び出してしまったりはしない。

 「さて、グレイシー、一飛びするか?」と男性は尋ね、バイクを傾けて数秒間サイドカーを浮かせる。初めグレイシーは怖がるが、数秒後には幸せそうな顔を見せる。 

 8歳のオーストラリアン・キャトル・ドッグのグレイシーは、世界で最も有名なロシア製バイクの「ウラル」にこんな風に乗っている。

大戦から財政難まで

 1631年に創建されたスヴェルドロフスク州イルビート市の住人は、いつも忙しい。創建当初から街では定期市が開かれてきた。1930年代、イルビートは商業都市から工業都市に姿を変え、初めはレンガを製造する珪藻土コンビナートが、後には泥炭採掘機械を製造する工場が作られた。

 独ソ戦の最中、それまでモスクワにあったバイク工場がイルビートに疎開して来た。バイク工場はビール工場の敷地に建てられた。 

 「最初の梯団が来たのは1941年11月21日のことだったが、早くも2月25日にはイルビートから最初の梯団がバイクに乗って出撃していった」とイルビート国立バイク博物館のアレクサンドル・ブラノフ館長はタス通信のインタビューで語っている。戦時中、イルビートでは9000台以上のバイクが作られ、初めは軍に使用されていた。モデルの名称はM-72だった。「ウラル」という新しい名称は、ロシアの大山脈地帯に因んで1962年に付けられたものだが、ソ連国内外でこちらの名称が普及した。

 1990年代初めまで、工場は国内向けに順調に年間13万台のバイクを生産し、約一万人の従業員が働いていた。ソ連崩壊後、工場は財政難に見舞われ、何度か名称を変えた後、21世紀初めに倒産してしまった。

 「カハ[工場の元所有者カハ・ベンドゥキゼのこと。1998年に工場を手に入れた――編集部註]は、工場を売ることを決めたが、名乗りを上げたのは、当時工場の最高経営者だった私とその同僚のヴァジム・トリャピチキンおよびドミトリー・レベジンスキーだけだった」と現在の工場の共同所有者の一人であるイリヤ・ハイト氏は『アフィーシャ・デイリー』誌のインタビューで話している

輸出用の「ウラル」

 新たな所有者らは2006年までに工場の経営を立て直し、同年には1755台のバイクを製造したが、すべて輸出用で、日本や米国、欧州、カナダ、オーストラリアに向けて販売された。 

 「我々は、我が社のバイクにとってロシア市場の展望があまり明るくないことを悟り、世界のブランドと競争しようと考えた。だがこのためには、ほぼ完全に製造工程を変えなければならなかった。現在の「ウラル」には古い「ウラル」の部品は一つも使われていない。国外市場での需要が肝心だ」とハイト氏は言う

 工場では従業員らが胴体部分やシャーシ、エンジンを製造している、とイルビート・バイク工場(IMZ)の経営責任者、ウラジーミル・クルマチョフ氏は話す。ブレーキやギアなどの部品は国外で買わなければならない。

 「ウラル」の生産規模も大幅に縮小され、今では工場の従業員は150人のみで、注文に応じて一日に5、6台のバイクを組み立てている。

 工場で生産されているのは2つのクラシック・モデル、「ウラル・シティー」と「ギア・アップ」だ。また同社は、ヤマル社とコラボし、バイカル湖や砂漠の色をした「ウラル」などの限定品も製造している

 「シティー」のエンジンは容積が745立方センチメートルで、出力は41馬力だ。航続距離は260キロメートル、推奨される最高速度は時速110キロメートルとなっている。後輪駆動である。

 「ギア・アップ」の性能も、車輪のサイズ(「シティー」は18インチ、「ギア・アップ」は19インチ)を除いてほとんど同じだ。しかし、「ギア・アップ」は同社を代表するバイクと考えられている。世界唯一の全輪駆動バイクであり、顧客の要望に応じてサイドカーの車輪にギアを連動させることもできる。オフロードバイクとして最適だ。 

 「シティー」は82万1000ルーブル(約113万円)で、「ギア・アップ」は96万2000ルーブル(約133万円)で販売されている

世界的な人気

 ロシアにある「ウラル」のディーラーは4軒だが、米国には約50軒ある。2010年代には、ブラッド・ピットやエアロスミスのソリスト、スティーヴン・タイラーが「ウラル」に乗る姿をパパラッチが捉えている。

 ウラジーミル・クルマチョフ氏によれば、『スターウォーズ』に出演したユアン・マクレガーもサイドカー付きとサイドカーなしの2台の「ウラル」を持っているという

 「我が社のバイクは99パーセントが輸出向けで、昨年[2019年――編集部註]にロシアで販売されたのはわずか45台だけだった。ちなみに平均して年間1200台生産している」とクルマチョフ氏は「ウラル」の販売事情を明かす。

 彼の考えでは、ロシア製バイクが国外で人気を得たのは、その一風変わったデザインのおかげで、デザインは何があっても変えることはないという。

 「隔年で開かれているミラノ・モーターサイクルショーで、バイクからラベルを取れば、素人はどれがどのバイクか分からないだろうが、『ウラル』だけは分かるだろう」とクルマチョフ氏はテレビチャンネル「ロシア24」の2017年のインタビューで話している

 ロシア国外で「ウラル」が人気なのは、着脱可能なサイドカーが付いているからだと工場の共同所有者のイリヤ・ハイト氏は考えている。

 「現在、我が社のバイクの所有者の平均年齢は50~53歳だ。原則として、サイドカー付きのバイクというユニークな移動手段を見出した経験豊かなバイカーが購入している。『ウラル』は運転手と同乗者の関係があるのが特徴だ。これは、誰かと共有できるツーリングなのだ」とハイト氏は説明する

 「ウラル」はロシアでは高価すぎるということで人気がない。また、ソビエト時代の「ウラル」のファンがいかなる変更にも反対していることも不人気の原因だ、とハイト氏は考えている。

 またハイト氏によれば、「ウラル」はさまざまなニーズに合わせることができるという。パリやバルセロナでは、「ウラル」で観光ツーリングが行われており、旅行客は「ウラル」にサーフィンボードやキャンプ用品を載せて走り、またサンクトペテルブルクのあるカフェは、移動式のエスプレッソ・スタンドとして「ウラル」を注文し、バイクでコーヒーを販売している。

 インスタグラムの「ウラル」の公式アカウントによれば、「ウラル」は、未舗装地や雪で覆われた道路は言うまでもなく、山や谷、砂漠をも走破できる。いかなる条件でも走れることも、米国でこのバイクが1万ドル(約104万円)で売れている理由だ、と米国における「ウラル」の古参ディーラーの一人、ジーン・ラングフォード氏は考えている。

 「『ウラル』は冬も夏も、オフロードでも走れる。サイドカーはトランクとして使うことも、子供やペットを乗せることもできる。『ウラル』は冒険にうってつけの乗り物で、珍しいものでもある」と『USAリアリー』はジーン氏の考えを伝えている。

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