サイドカー「ウラル」が日本で人気

ロシアNOW
 ロシア製サイドカー「ウラル」は、映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」で使われたし、噂によると、ブラッド・ピットとヨルダン国王、アブドゥッラー2世の車庫にもあるとか。そのウラルが、日本とアメリカで、レトロバイクとバイクでの旅を愛する人の間で、少しずつ人気を集めている。

 土曜日の朝、神奈川県平塚市の一見ごくふつうの駐車場で、思いがけない動きが始まった。次から次へとサイドカーが乗りつけてくるのだ。しかも、バイカーたちの見た目も変わっている。何台かのサイドカーは、明るいベージュ色またはカーキ色に塗装され、また何台かは、レトロ調にピカピカに側面が塗られている。バイカーの多くは、脇にポケットのついたモスグリーンの、幅広のズボンをはいている。ある者は、第二次世界大戦で使われたヘルメットを着用におよび、また小さなロシア国旗をくくりつけているサイドカーもあった。実はここで、ソ連の伝説的なサイドカー「ウラル」の愛好者の会合が行われているのだ。ウラルは再び人気を集めつつある。

 

かつては軍用車両

ナタリア・ススリナナタリア・ススリナ

 サイドカー「ウラル」の歴史は、1930年代末のドイツに遡る。当時、ソ連では、軍用オートバイの開発が行われており、そのベースとしてドイツのオートバイ「BMW R-71」が採用された。で、数台のBMWがスウェーデンで、ソ連当局の意を受けた人間により匿名で買われた。

 「『ウラル』の歴史は、ドイツのBMWの軍用バイクを分解して細かく調べるところから始まりました。そのBMWがベースになり、多少設計が変更されたんです」。こうロシアNOWに語るのは、ブラジスラーフ・ボリヒンさん。Ural Japan社の代表取締役だ。

 ソ連のウラルは、第二次世界大戦中に盛んに使われ、長い間もっぱら軍用オートバイであり続けた。しかし時とともに、このソ連製バイクの設計は、次第に元のモデルからかけ離れたものになっていった。「元の設計は多数の変更を被り、その結果、現在のウラルはすでにBMW とは基本的に何の関係もなくなっています」。ボリヒンさんはこう説明する。

 1950年代半ばから、このバイクは軍に納入されなくなり、ソ連の一般市民のために販売されるようになった。そして長きにわたり、個人の交通手段としては最も大量に生産されるものの一つであり続け、主に農村で使われた。

 

「目立つための方法」

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 にもかかわらず一般のバイク好きの間では、ドイツと軍用バイクというイメージがかなり強く残っている。まず第一にそれはエンジンの構造と関係がある、とボリヒンさんは説明する。 

 「水平対向エンジン。これは何よりもBMW のバイクの際立った特徴です。ウラルを知らない人はすぐにこれはBMW製だと思う」。ボリヒンさんはこう言う。

 「実際には、ウラルは次第に軍用バイクのモデルから離れていったのですが、日本でウラルを買う人はミリタリー愛好家が多いですね」とボリヒンさん。

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 しかし最近では、他の関心をもってウラルを買う人も出てきた。それはより若い世代だ。彼らにとっては、サイドカーは目立つための方法なのだという。

 「数年前には、ウラルを日本で買うのは主に50歳過ぎの人達で、古き良き時代に郷愁を感じているか、あるいはミリタリー愛好家だったのが、今は若い人の割合がだんだん増えてきました。最近は20歳から30歳のお客がとても多い」。ボリヒンさんの説明だ。

 

一番のセールスポイントは安いこと

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 日本では80年代からウラルを売っているが、品質があまり高くなかったので、当時の買い手は様々な障害にぶつかった。

 「しかし2000年代から、バイクの設計も会社の組織も大きく変わりました。2007年からは、わがUral Japanが存在しています。これはウラルの日本での公式ディストリビューター」と、ボリヒンさんは振り返る。

 ウラルは従来通りIMZ社(スヴェルドロフスク州)が製造している。1940年代初め以来、ここで製造されてきた。ただソ連時代は、ほとんどの部品がこの工場で作られていたのに対し、今では世界のあちこちで作られている。もっとも、現代ではどのオートバイもそうだが、と ボリヒンさんは付け加えた。2000年代からは、IMZ社は基本的に輸出向けに生産しており、主な輸出先はアメリカで、一か月あたり約65台を売っているという。

 ウラルの主なセールスポイントは価格だ。これは米国でも日本でも最も安いサイドカーである。筆者が話を聞いた日本のバイカーは皆口をそろえて、それがこのバイクを買った第一の理由だと言った。

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 「自分で買えるサイドカーというと、ウラルしかなかったですね」。ウラルの所有者の一人、濱隆宏さんはこう言う。また濱さんによると、日本で作られている部品のいくつかがウラルに適合するのだという。

 といって、通常のバイクに車台をとりつけようとすると、何倍も高くなり諸経費がかさむ。「日本ではサイドカーはかなり高いです。いくつもの検査を受けなければならず、これも時間と金を食いますね」。ボリヒンさんの説明だ。

  

駐車の難しさ

 米国ではサイドカーは、旅行者やバイクで長旅を楽しむ人の間で人気だ。理由は、車輪が大きく、2輪駆動で、もともと軍用車両であることから、走力に優れていること。日本のバイカーたちもこれには賛成だ。

 ウラルを所有する堀田圭亮さんは、主に一人で乗り、車台には旅に必要なものを載せるという。「荷物、キャンプ道具とか載せるの方が多いですね」。最長の旅は、鳥取県まで行ったときだとか。

 ボリヒンさんによると、今年、Ural Japanは日本で約50台売ることを見込んでいる。「2~3年後には年間100台にまでもっていきたいです」と計画を話してくれた。にもかかわらず、ウラルは日本ではまだ珍しい。バイカーたちは、いつも注目を浴びると話してくれた。駐車すると、何人かの通行人が驚いたようにまじまじと眺め、この風変わりなオートバイを写真にとるという。

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 「もう慣れました。初めのうちに恥ずかしかったですけれども、今はそれがちょっと気持ちよくなってきましたね」と堀田さんは笑う。

 ウラルを運転するバイカーの悩みはとくに駐車場だという。「なかなか見つからないとか、あとは駐車場の係員とかもバイクなのか、車として扱っていいのか分からないので、料金もそうですし、どっちに入れていいのか、わからない。だから、サイドカーはだめと言われちゃったときもたまにはありますよ」。堀田さんはこぼす。渋滞のときも、他の車と同じく停まってじっと待たねばならない。車台があるサイドカーなので、車線いっぱいをふさぐからだ。

 

ソ連時代の遺物? 

 にもかかわらず、堀田さんも濱さんも、ウラルを他の車種に代えるつもりはないという。

 「最初はウラルがロシアのメーカーだと知りませんでした。調べてきて、まさかロシアだとは思いませんでした。ロシアの工業製品はやっぱり僕の回りになかったですよ」と濱さん。

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 ロシアでは今のところ、オートバイはあまり人気がない。一番の理由はやはり値段が高いこと。

 「ロシアでもここ数年、新型ウラルの売り上げは安定して伸びていますが、やはり、ソ連時代の遺物だとか農村のバイクだとかいうイメージが強すぎますね。新型ウラルは、ソ連時代のものとは根本的に違うにもかかわらず、そういうイメージが今のところ強すぎる」 。ボリヒンさんはこう結んだ。

 とはいうものの、西側諸国での人気を受けて、再び本国で人気になる可能性だってあるではないか?

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