ニューリッチ、モデル、ギャングが集まったモスクワのカジノ10選

Vitaly Arutyunov/Sputnik
 ソ連崩壊後、野蛮ながらも資本主義化された新生ロシアで、これまでは禁止されていた娯楽が首都に持ち込まれた。カジノが雨後の筍のように現れ、富と権力を持つ人々をたちまち惹きつけた。

1. メテリツァ

 1993年に新アルバート通りにオープンしたこのカジノは、瞬く間にロシアの首都におけるギャンブルとエンターテインメントの殿堂となった。オープン当初、メテリツァ・クラブやこのクラブが運営するチェリー・カジノは、あまりおしゃれとは言えなかったが、1990年代終わりにかけて徐々に華やかになっていった。

 最初はむしろとても陰気な雰囲気だった。

 しかし、後にはモスクワでももっともまばゆく豪華な場所へと姿を変えた。

 メテリツァのステージはロシア中の栄光を目指すポップアーティストや大御所スターの憧れの舞台となった。そこでショーを開くことは、名誉と金をもたらすものであり、そこの客はためらいもなく富を散財する有力者とつながりがある人々だったからだ。 

  「メテリツァは本当に広く知られていた。モスクワで有力なコネをつくるためには(多くの人にとって)とても良い場所だった。今はときめくポップスターの誰もがここを通って行った。彼らは直接わたしに電話をかけてきて、出演することは出来ないか聞いたものだ。(というのも)ここには本物の金と多くの人がいたからだ。毎晩600-700人もの人客が集まっていた」とカジノの共同設立者、ダヴィド・ヤコバシヴィリは言う。

メテリツァ・カジノで行われたミス・コンテスト、1994年

 にもかかわらず、このカジノは数多くのスキャンダルに見舞われた。1994年6月のある日、カジノは特殊警察部隊の捜査を受けた。後に客が思い起こすように、警察は客を取り調べて没収した金を持ってカジノを後にしたのだった。

  この象徴的な場所が閉鎖された時、観光客たちはここの入り口に集まって最後のチャンスとばかりに1990年代のロシア人がもっとも憧れたカジノの前で写真を撮ったものだ。

2. ビバリーヒルズ

 1993年8月、モスクワに 7棟あるスターリン様式の高層建築の中のひとつに新しいカジノがオープンした。このカジノは「ファイアーバード(火の鳥)」と名付けられたが、わずか3年後の1996年には閉鎖され、そこに、「ビバリーヒルズ」とい名の新しいカジノがオープンした。

 豪華なオープニングパーティーが開かれ、錚々たる顔ぶれがパーティに出席した。ドナルド・トランプ、ラスベガス市長のジャン・ラヴァティ・ジョーンズ、そしてこのカジノの50%の株を保有していると伝えられた映画スター、チャック・ノリスも、このグランドオープニングに参加した。

俳優チャック・ノリスがビバリーヒルズ・カジノにて

 当時、このビバリーヒルズ・カジノは、モスクワでもっとも犯罪が多発する危険地帯のひとつである考えられていた。

ビバリーヒルズ・カジノで行われたミス・コンテスト

  「チャック・ノリスがオーナーのビバリーヒルズ・カジノは最高にイケてるところだと言われていた。もちろんその通りだった。と言っても、わたしには彼らが大好きなテキサス・レンジャーの城にやって来る連中が本当にイケてるのかよく分からなかった。けれどわたしには彼らのほとんどが、チャック・ノリスが自身の出演作で顔を蹴りつけていた心のないインディアンの迫害者のようではあった」とあるジャーナリストは1998年にこのカジノについて書いている

3.ゴールデン・パレス

 ゴールデンパレス・カジノは1994年にベラルースカヤ駅の周辺地区にオープンした。メテリツァ同様、ここにもモスクワのポップアーティストやギャンブラーがやって来た。その中には1996年に24万ドルも勝った幸運な客がおり、それは当時圧倒的な記録であった

 しかし、ゴールデン・パレスの歴史はスキャンダルにまみれていた。1996年12月には、共同設立者でカジノのオーナーであるダヴィド・ハチャトロフが自宅横で暗殺された。2006年には当局がカジノの違法運営を摘発し、内部でのすべての活動を差し止めた。その後ゴールデン・パレスは再開したものの2009年6月に、ロシアではいくつかの地域を除いてすべてのギャンブルが違法となった際に永久に閉鎖された。

 今日でも、そのあたりを通るとゴールデン・パレスの看板を見ることが出来る。しかしながら、カジノはもうなく、クラブに姿を変えている。

4. シャングリラ

 英国人マイケル・ベッチャーは1992年にギャンブル運営会社ストーム・インターナショナルを設立し、1990年代後半にギャンブルビジネスが急拡大していたロシアにやってきた。彼のカジノの1つであるシャングリラは、1999年にオープンした。そこはエリートのみが集まる場所で、入場するだけで一人当たり200ドルも請求された。

 限られた特定の人しかこのような金額を支払うことは出来ない。しかし、ロシアの地下組織のリーダーたちにはそれができた。ヴャチェスラフ・カザリンという犯罪組織のメンバーは別の犯罪シンジケートのメンバーたちとギャンブルで勝負して大金を負けた。負けを支払いたくなかったカザリンは相手を自宅に呼び寄せ、そこへ何も疑わずにやって来た人たちを殺害した。

  2009年の夏にカジノは閉鎖され、今では代わりにカフェや劇場が営業している。

5.ジャズ・タウン

 シャングリラと同じくこのカジノもマイケル・ベッチャーのストーム・インターナショナルが経営していたが、シャングリラとの違いは、ここは2004年になってオープンしたという点である。このカジノはモスクワにおけるジャズのメッカになろうとしていたが、2009年に他のすべてのギャンブル場と同様に閉鎖された。

6.クリスタル

 クリスタル・カジノは、1997年にオープンした当初は東ヨーロッパ最大のギャンブル場であった。

  「ここで賭けをする人はいくつかのカテゴリーに分けられた。1つ目のグループはプロのギャンブラー。このような人々は1日に200〜300ドルも勝てれば十分であった。2つ目のグループはいわゆる“ビッグプレーヤー”と呼ばれる人たちでひと勝負で最低1万ドルを賭ける。3つ目のグループはいかさま師で、警察に追われる連中だ」。このカジノで働いていたディーラーはこう語る。 

 1999年3月、悪名高い犯罪組織のリーダーであったヤング・シャクロはカジノでギャンブルをし、ドラッグを使用した容疑で警察に拘留された。 

 当局はこのカジノはジョージア・マフィアが支配していると疑いで手入れを行った。これを受けて、カジノは、2006年に一時的に休業、その後2009年に完全に閉鎖された。

7. エンパイア

  エンパイア・カジノは2001年にオープンし、アメリカの会社によって運営された。女性の入場料は無料で男性の入場料は50ドルだった。

 このカジノの特徴は「インペリアル・イブニング」と称される有名なストリップ・ショーだ。これはかつて存在した世界中の帝国の美学をテーマにしたショーであった。

8. コスモス 

 コスモス・カジノは全ロシア博覧センターに隣接する有名なコスモス・ホテルの1階にあった。このカジノは幾度となくロシアの警察権力の興味の対象となった。それは、ここがマネーロンダリングに使われているという嫌疑がかけられ、犯罪組織のボスたちの会合に使われ、さらに、無免許営業をしていたとされたからである。

有名なグループ「マシーナ・ヴレメニ」の歌手アンドレイ・マカレヴィチとチンパンジー、コスモス・カジノにて

9. クラウン 

 クラウン・カジノもまた新アルバート通りにある。この場所はメテリツァ・カジノがあるためモスクワのギャンブラーの間ではすでに有名なところだ。クラウン・カジノにはポーカークラブとギャンブル場が併設されており、モスクワにある他の高級クラブに比べれば民主的な場所だと考えられていた。

10. メトロポール

メトロポール・ホテル

 赤の広場のすぐそばにあるカジノで、有名なメトロポール・ホテルの中にあった。2006年にはVIP客向けに金塊20キロの抽選会が行われた。後には、ある客がジャックポットで200万ドルを当てた。この額は1996年にゴールデン・パレスで打ち立てられた記録を塗り替えたものだった。

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