ソ連後期、1990年代に撮影された多くの写真を見ると、女性たちが室内で、コートは脱いでいるのに大きな毛皮の帽子はかぶったまま映っているのに気がつくだろう。みんな、頭が寒いのだろうか?あるいは女性は頭をなにかで覆わなければならなかった革命前の慣習の名残なのだろうか?いや、理由はまったく別のことにあった。
トレチャコフ美術館にて
Yuri Sadovnikov/ MAMM/ MDF数十年前、毛皮のコートは防寒のためではなく(もちろん、何よりも体を暖かくするものではあったのだが)、特定の社会的地位を示すものであった。今の若者たちが、最新モデルのスマホを買うために行列についているように、当時の女性たちはミンクやキツネの毛皮でできた贅沢な(そしてなかなか手に入らない)帽子を買うために行列についた。ちなみに、ウサギやフェイクファーでできたより安い帽子も売られていた。
ロシア美術館の展覧会にて、1972年
V. Shiyanovski/Sputnik毛皮の帽子は非常に高価だったため、その帽子をクロークに預けるのは不安なものだった。しかも、たいていクロークには「預けられた荷物に責任は持ちません」という注意書きがかかっていた。
絨毯についての展覧会にて、プーシキン美術館、1978年
Sergey Guneev/Sputnikしかし、映画やレストラン、美術館に帽子を持って入らなければならなくとも、女性たちは面倒だとは思わなかったようだ。彼女たちにとっては、より多くの人たちにおしゃれで高価な品を見せることができるチャンスがあったからだ。しかも、女性が室内で帽子を取らなければならないというマナーはなかった。
レストラン「スラビャンスキー・バザル」にて、1968年
Yuri Artamonov/Sputnik「1997年、女性は皆、長い毛皮のコートと毛皮の帽子でおしゃれを楽しみました。毛皮のコートと帽子があれば、“ラグジュラリー”の仲間入りができたのです」とロシア人たちは回想する。「わたしの母も、収入はそれほどではありませんでしたが、ビジネスウーマンとしてのステイタスをキープしようと努力していました。そして室内でも、大好きな毛皮の帽子を取ることはほとんどありませんでした。今ならその理由が分かります。冬に劇場に行ったときのことです。わたしたちの席は3列目だったので、母は後ろに座っている子どもたちにも舞台がよく見えるように帽子を取りました。しかしこれは宿命的な過ちでした。わたしたちの手元を離れた帽子は盗まれてしまったのです」。
詩人会の祭典にて、1976年
Valentin Mastyukov, Vladimir Savostyanov/TASSエンジニア、1982年
Vadim Kachyan/ Vadim Kachyan's Archiveもちろん、このような帽子は、街の強盗に狙われることも多かった。そこで女性たちは暗い横丁で帽子を奪われないよう、ゴム紐を縫い付けて、あごに引っ掛けていた。
ソ連初のマクドナルドの開店、1990年
Yuri Abramochkin/Sputnikさらにこの帽子をかぶるとヘアスタイルが崩れた。ファッショナブルなヘアアレンジもカールも重い毛皮に押されて、たちまちぺちゃんこになった。加えて、すぐに汗で汚れてしまったため、帽子を脱ぐとサラサラヘアーとはとても言いがたい状態であった。
時代とともに毛皮の帽子は出回るようになり、流行らなくなった。今や、かつてのステイタスは、有名なブランドの高価なアクセサリーやガジェットに取って代わられた。
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