モデルで建設事業者のナジェージダ・レルトゥロ(写真特集)

Lumpen Movies/Tebe Vsyo Mozhno
 壁を塗り、コンクリートを注ぎこみ、小屋を壊す40歳のこの女性。彼女は、自由な時間があれば、ファッションショーに出ている。パリでのショーに出たこともあるのだそうだ。こんな風に、一度の人生でいろんなことができるというのは実に羨ましいことである。

 「埃と泥にまみれながら、ラミネート床材を敷いていると、エージェンシーから電話がかかってきて、ミンスクで映画の撮影があるから行ってくれと言われ、わたしは”いいですよ”と答えるんです。汚れを落として、顔を洗って、服を着替えて、出発です。到着すれば、捕まえられて、美しい衣装を着せられ、メイクをしてくれます。そして、外国語の古い歌を覚えてくださいなどと言われるんです。さっきまでサーキュラーソーを手にしていたのに」。現在40歳のモデルで建設事業者でもあるナジェージダ・レルトゥロ(本名ゼレノワ)さんの毎日はこのように過ぎていく。

 幼い頃はモデルになるなど想像もしていなかった。ナジェージダさんは、1歳のときに両親が親権を奪われたため孤児になった。彼女は2つの孤児院で育ち、サッカーやバスケットボールをしていた。本人曰く、太っていて、細い目をしていたという。そのちょっと変わった外見のせいで、学校では同級生から嫌な思いをさせられることが多かったと話す。 

 「赤毛とかデブとか言われていました。 気にしないようにしていましたが、やはりとても悩んでいました。わたしは報復することができたので、同級生たちはわたしを怖がっているほどでした」とナジェージダさんは回想する

 孤児院にいる間に、彼女は2度、精神病院に送られた。 1回目は医師団の間違い、2回目は保育士がそう決めたからだったという。「彼女はわたしたちともめごとがあると、奇妙な方法で解決しようとしたんです。その場を離れ、わたしたちが彼女をいじめたようなふりをして、嘘泣きをするのです。(中略)わたしと彼女の間には何のもめごともありませんでしたが、わたしは彼女には好かれていませんでした。わたしはもう15歳になっていたので、彼女はわたしが自分の権利や価値を知っていることを理解していました」。

 孤児院を出た後、ナジェージダさんは裁縫学校か建設専門学校への進学を勧められた。裁縫はできたので、2つ目の選択肢を選んだ。学業の間は寮に住み、暇な時間があると、洋服代や食費を稼ぐために、部屋の壁や天井を塗った。

 オンライン雑誌「Wonderzine」からのインタビューに答えたナジェージダさんは、「専門学校の先生たちの多くが、あなたはもうすべて知っているのに、なぜまだ勉強しているのか分からない」とよく言われたとのこと。わたしは好奇心旺盛で、なんでも掘り下げるのが好きでした。幾何学―特に画法幾何学と物理が得意でした」と話している。

 学業を終えて、ナジェージダさんは両親が残してくれたアパートで暮らすようになったが、建設現場での仕事は続けた。

 「お客さんたちが知り合いに、わたしのことを、物理の法則とロープを使って小屋をすぐに壊すことができると話してくれているようです。すると、その人たちは、小屋を潰せる女性がいるなんて、紹介してよと言うそうなんです」とナジェージダさんは言う。

 37歳のときに、女友達を訪ねてスイスに行ったときに、友人は彼女の外見とがっしり体型に感銘を受け、写真を撮った。ナジェージダさんはその写真を、知り合いの画家から教えてもらった、一風変わったモデルを集めるロシアのモデルエージェンシー「ルンペン」に送った。そしてしばらくして、オーディションに呼ばれたのだそうだ。 

 エージェンシーに所属してからの4年間で、ナジェージダさんはパリのファッションショー「Vetements」に参加し、下着ブランド「My Dear Petra」の専属モデルとなったほか、ロシアの「エル・ロシア」や「FlaconMagazine」など、ファッション雑誌にも掲載された。

 近く、ナジェージダさんはyoutubeで、女性向けのリフォームを紹介するチャンネルを開設しようとしているという。

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