サーシャ・トラウトヴェインが初めて、フランスのパリで、ブランドOff-Whiteのショーに出たとき、彼はロシア出身の、ただ背が高くて、痩せた、無気力なティーンエイジャーだった。ヴォーグのインタビューで、サーシャは当時を回想してこう述べている。「友人に連れられて行ったんだ。汚れた裏革のコートを着て、破れたスニーカーを履き、大きなリュックサックをかついで。パリのアパートから引っ越さなければならなかったから。カメラマンが僕を見て、写真を撮り始めたときには本当にびっくりしたよ」。それは3年前のことだ。
現在、サーシャ・トラウトヴェイン、別名Sashadidntwakeupはロシアのファッション業界でもっとも知られる人物の一人である。アメリカの男性誌エスクァイアは、サーシャを世界でもっともスタイリッシュな若者トップ10に選んでいる。今年の春に21歳になったばかりのサーシャは、雑誌「Dazed & Confused」の「今、歴史を作っている人」ランキングで3位に入った。彼より上位を占めたのは、同性愛者であることを告白している韓国のアイドル歌手Hollandとテレビドラマ「ストレンジャー・シングス」に出演していたスター、セイディ・シンクだけだった。
壁の剥げ落ちたガレージ、灰色のフルシチョフ住宅、よくある質素なキッチンを背景にした憂鬱げな顔の彼の写真は数千もの「いいね!」を集めている。しかし、サーシャは自分の人気をただの幸運としか受け止めていない。「10年前なら、誰も僕に注目しなかっただろう」。
サーシャ・トラウトヴェインが生まれ育ったシベリアのカンスクは人口およそ9万人、モスクワの東方4,363キロの場所に位置する町だ。かつて、カンスクには流刑された農民や革命家などが送られたが、現在は数百のシベリアの産業都市の1つで、一部の住民たち曰く、「酔っ払うのに理想的な町」である。
サーシャは言う。「木造アパートに住んでいてね、マイナス40℃になるとかまどで木を燃やさないといけないんだ。町の住民たちみんなが働いている工場が5つくらいあったんだけど、ソ連が崩壊して、ロシア連邦になって、工場はすべて閉鎖された。シベリアは本当に崩壊してしまったんだ。でも今は少し変わり、以前よりは快適になったけど、それでも良い状況とは言えない。義父は大工で、母親は家具店で働いているよ」。
サーシャは17歳のとき、顔に「wake up」というタトゥーを入れ、壊れた自動車を売り、リュックサックを買い、学校をやめ、ヒッチハイクでサンクトペテルブルクに出て来た。家から5,000キロ離れた場所である。フォーブス誌の記事よれば、すべては一人の女の子のためだったという。
「サンクトペテルブルクに着いたすぐの頃は、ポケットに3ドルしか持っていなくてね。ショッピングセンターで、誰かの食べ残しを食べたり、友人におごってもらったりしていた。あと母親が1–2週間に15ドルずつ送ってくれていたんだ」とサーシャは当時を振り返る。
「仕事を探していたときには、店の食べ物を盗むようになっていた。僕はそれがすごく得意でね」。
結局、その女の子とはうまくいかなかった。サーシャは建設現場で働いたり、警備員としてアルバイトをしたり、病気の子供たちのためにお金を集める慈善基金を装った事務所の仕事をしたりした。「毎日、封がされた箱を持って出かけ、病気の子供たちのためにと言って、募金を集めるという仕事だった。僕たちに支払われたのは、集めたお金の20%。でもリーダーには、もし誰かが確認しに来たときには、僕たちはボランティアで、タダで働いていると言うようにと言われていた。あれは僕にとって、人生でもっとも恥ずべき時代」とサーシャは打ち明けている。
次第にサーシャは友人の輪を広げ、コネクションを作るようになり、そして新しいタトゥーを入れた。サンクトペテルブルクは彼にとっての故郷になった。ロシアの90年代の流行が、彼に注目を集めさせる一助となったのだろう。それからまもなくして、サーシャはモデルとして自分を試すことを決意し、さまざまなブランドやストリートスタイルの写真家たちの目に留まるようになった。
美の基準は変わる
現在、トラウトヴェインはルイヴィトンのバッグをいくつも買い、3つ揃えのスーツを作り、ヨーロッパを旅し、有名なデザイナーのカクテルパーティに出席するのに十分なお金を手にしている。しかし、彼は今でも、高級ファッションと、擦り切れたオーバーサイズの服、そして町の裏庭的な雰囲気を併せ持っている。
トラウトヴェインは、美やファッションの基準を「自分らしい」ものに見直したことで名声を得たのだと考えている 。「おそらく、僕が見せるようになったライフスタイルが人気の理由だと思う。それはきっと何か新しいものだったのではないかな。皆、美しい生活を見せようとしていて、たとえ、本当の生活はそれほど美しくなくても、人はそれをよりよく見せようとしている。でも僕はそういうのはどうでもよくて、ありのままの自分を見せたから」。
また彼はこう話す。「かつてモデルといえば皆とても綺麗で、目鼻立ちがはっきりしていて、皆同じ顔をしていた。でも今は個性が尊重されていると感じるし、美の基準というものが変わったなと思う」。
「サンクトペテルブルクやモスクワ以外の場所では、絶望感を感じる」とトラウトヴェインは言う。「そしてその状態というのは、僕にはよく分かるもの」。
サーシャはHeron Preston、Y-3、Fendiといったブランドにもファンを持つ。昨年はヴォーグ誌イタリア版、韓国版が彼を取り上げ、彼の写真で表紙を飾った。Vogue Homme誌は、彼にインスタグラムのパスワードを与え、ファッションデザイナー、ヴァージル・アブローのルイヴィトン用の初のファッションショーのオンライン配信を担当させた。さらに2019年夏、トラウトヴェインは独自の商品を発売した。それはWake Upという刺繍が施された色鮮やかなニットの目出し帽で、これを歌手のビリー・アイリッシュがかぶり、話題となった。
サーシャは現在もサンクトペテルブルク在住で、ときどきラップを書き、自分の人生を描いたドキュメンタリー映画を撮影するため、アメリカとイギリスに行く準備をしている。