世界的な危機や不安が広がる現在、インターネットは苦しい時に平静を保つ啓発投稿や心理学的なレッスンで溢れている。当然、ロシア人からもアドバイスがある。
我々が「古代ロシアの処世術」を語る権利はあるのだろうか。これについて考えてみよう。ロシアでこれまで、全国的、世界的な危機を経験しなかった世代はない。少し振り返ってみよう。2012年から2013年には経済危機があり、それ以前には2008年のリーマンショックがあり、その前には1998年の財政危機があり、またその前にはソ連が崩壊し、その前夜にはすでに経済が困窮して物不足に陥っていた中でチェルノブイリ原発事故が起こった。ソ連では第二次世界大戦後から1980年代まで人々が比較的ましな生活をしていたと言う人がいるかもしれない。もし壊滅的な武力紛争後の、全体主義体制下での冷戦の危機に怯える生活を「比較的まし」と言うなら、それも良かろう。
それ以前は? 1917年と1905年に革命があり、それ以前には農奴解放令後の経済の低迷があった。ロシアのバーブシカに訊いてみると良い。彼女らは純粋に自分たちの経験を基に、危機を乗り越えるのに役立つアドバイスをくれるだろう。この点に関しては、バーブシカは気の利いた人生の師よりも長けているかもしれない。
1. 貯金しすぎない
上に挙げた諸々の事件が原因で、ロシア人の大半は大金を持ったり、たくさん貯金したりしたことがない。結果として、彼らは遺伝的に慎重になった。ロシア人の一部がパーティーやプライベートジェットに数百万ドルの金を浪費しているのを見れば、そうは思われないかもしれない。しかし、最も浪費癖の酷いのは誰だろうか。最近まで貧乏だった人だ。多くのロシア人が果肉を削ることなくジャガイモの皮を剥けることに驚くだろう。あるいは千円で一週間暮らせることに。こうした「技」を使わなければならないわけではない。だが知っておくと便利だ。
そしてもし何もなければ、失う物もない。過去数世紀、ロシアやソ連の悪名高い犯罪者は自身の財産や富を自慢するのを好まなかった。それどころか犯罪界の掟は、私有財産を持つなというものだった。
2. 家や友人にしがみつく
人口密度の高さのランキングでは、ロシアは世界第181位だ。国土の3分の2近くが到達困難な場所である。人口がまばらな場所で生きるのは、ロシア人の生まれながらの技術と言える。と言っても完全に独力で生きる術ではなく、ごくわずかな近しい人たちと生きる術だ。家庭が砦となり、隣人や家族がチームとなるのだ。帝政ロシアでは、農民は自分たちだけでは生きられなかった。彼らは常に「オプシチナ」(原義は「共同体」)と呼ばれる村社会の一部だった。隣村が数百キロメートルも離れていることもある中、共同体生活は必要不可欠だった。
また、市民に住まいを与えるというソビエト政権の政策は農奴制に非常に似ていた。人々はアパート部屋を受け取り、それは彼らの所有物にはならなかったが、彼らの名で登記されていた(この制度は「プロピスカ」と呼ばれた)。ソビエト時代には不動産市場はなかった。基本的に、「プロピスカ」は終生引越しできないことを意味した。国があなたを転勤させない限り。
3. 安定的な資産を持つ
これまでの話で分かっただろうが、ロシアには一度も安定的な金融市場が存在しなかった。基本的に、ロシア人の大半は常に何らかの借金を抱えてきた。少ない資産を守るため、真に安定的な資産を見つける必要がある。数世紀もの間、そうした資産の代表が彼らの持つ小さな土地だった。
ロシアの村の農民は地主が所有する土地で働いたが、彼らが生活し、居所を構え、野菜を育てるための土地を持っていた。これらの土地、家、個人的な所有物は、ほとんどのロシア人が実際に所有していた唯一のものだった。ソ連崩壊後のロシアでは、一軒家やアパートの大規模な私有化の後も、個人的な生活空間がその所有者の最も安定的な資産であり続けた。現在人口の半数以上、つまりおよそ7880万人がアパートや一軒家の直接の所有者だ。
だが、46パーセントのロシア人がダーチャ、つまり田舎の質素な別宅を持っていることも忘れてはならない。このダーチャこそが次なるロシア的アドバイスの鍵だ。
4. 避難場所を用意しておく
田舎へ退避することは、長年ロシア人司令官のお気に入りの戦術的・軍事的技術であり続けてきた。当然、彼らにそれが可能だったからだ。世界最大の国で作戦を遂行していれば、常にどこかに空間がある。こうしてロシア人は、世界最大の規模を誇った2つの軍隊、ナポレオン軍とヒトラー軍に勝利したのだ。
田舎へ退避して敵を消耗させ、相手が疲弊したところで反撃を仕掛けるのだ。 だから、すべてにうんざりしたら、ダーチャへ避難しよう。街で生活したり食事したりするのが高すぎるなら、田舎へ行こう。だが、自分一人であくせくする方法も身に付けておこう。
5. 自分一人であくせくする
あらゆる政策に当局の承認が必要ならば、どうしてロシアの広大な土地を探検し、そこに人を住まわせ、文明化させるということができたのだろうか。遠隔地の通信に数か月を要した過去には、多くのロシア人は独力で自分の責任において行動し、自分で決断し、自己資金で投資せざるを得なかった。これは単に「暇つぶしを見つける」ということではなかった。
オセチアの郵便局員、83歳のエカテリーナ・ザラエワさんは、山村に郵便物を届けるため40キロメートルの道を半世紀以上歩いてきた。彼女は自分にとって「外に出て歩き回り、人と話して」自分の仕事をするほうが楽だと話す。
ロシアの各州におけるいわゆる「ガレージ経済」に関する2016年の社会学的な調査によれば、サマーラ州では40パーセントの自動車部品が個人の製作所で作られ、ウリヤノフスク州では、州の家具製造の8割を個人生産が占めるという。他の調査によれば、現在ロシアの労働人口の約25パーセント(約1500~1700万人)が自営業者だ。
だが、自営業を営むからには、コミュニケーション・スキルを持っていること、あるいは単に人と交わることが重要だ。
6. 社交的であれ!
最近、雇われの配管工がうちのバスタブを修理してくれた。私は彼が難しく複雑な仕事を見事にこなす様を見た。次に配管修理を頼むなら、彼が務めている会社ではなく彼個人に電話をするだろう。そうすれば配管工は私に、例えば窓枠の交換ができる友人の電話番号を教えてくれるだろう。こうして「ある人を知っている人を知っている」式の連鎖が続く。危機的な状況なら、お金がなくてもこのネットワークが働く。だが、ロシア人の相互援助は孤独な人には縁がない。ネットワークに組み込まれるためには人と交わらなければならない。これはおそらく「オブシチナ」の時代から受け継がれているものだろう。
だが、2020年現在、コロナウイルスが流行している今はどうだろうか。ロシアの分析では、80パーセント以上のロシア人がインターネットを使い、65パーセントが日常的にこれを利用している。3月23日から4月12日まで、ロシアの学校はコロナウイルスが原因で休校となる。何百万という学童が共同学習プラットフォームやストリーミングビデオ、メッセンジャーなどを利用してオンラインで勉強する準備をしている。これらすべてがすでに学習プロセスに組み込まれているのだ。多くの高校生らも遠隔学習に切り替えつつある。したがって、人と人との交流はいつも物理的な接触とは限らない。
7. 笑おう。だが微笑む必要はない
「良い暮らしをしたことがないのだから、今から始めても仕方ない」という陰鬱なロシアの諺があるが、状況が本当に悲惨なら、これも役に立つ。ロシア史の各時代にその時々の冗談があり、コロナウイルスをめぐる現在の状況も例外ではない。したがって、ユーモアを持って状況に対処するのは常に良い考えだ。とはいえ、幸せな笑顔でなくて、単ににっこりするだけでも良い。
だがこんな時代には、「ロシア人顔」を浮かべて微笑まないのも良いだろう。苦労している時に無理に元気なふりをしなくて済む。性格が良くて人助けが好きだからと言って、狂人のように常ににやけている必要はない。クールに行こう。