ソ連はどうやって飛行機から映画館を作ったか?(写真特集)

ライフ
エレオノラ・ゴリドマン
 これらの航空機の機体は、一度も空を飛んだことがない人々にも素晴らしいフライトをプレゼントしてくれた。

 退役した航空機はどうなるのだろうか?ソ連時代、そんな航空機を街の公園で目にすることができた。子どもたちは機内に入り込み、内装を楽しんだり、座席の感覚を確かめたり、窓から外を眺めたり、コックピットの中に座ったりすることができた。そしてもっと面白いことに、中でアニメ映画を観ることができたのである。

 退役した航空機を子どものための映画館として使用するというアイデアが提唱されたのは1970年代。用意されたのはシンプルなプロジェクターとアニメを映し出すスクリーンだけであった。

 映画館を作るのに使われたのは典型的なソ連の旅客機アントーノフAn-10の機体であることが多かったため、映画館は「アントーシカ」と名付けられた(男性名アントンの愛称)。

 1957年から1960年にかけてヴォロネジで生産されたが、1974年には完全に運行されなくなった。いくつかのモデルはパイロット訓練生のトレーニング用の機体となったが、最終的には子ども用の映画館となった。

 クイブィシェフ(現在のサマラ)では、「羽根のある」映画館の写真は街の公式ポストカードにも使われた。航空機An-10の隣には、カフェになった旅客船「Raketa」を見ることができる。

 カザンのウリツキー公園には航空機An-12があり、子ども用映画館とアイスクリームが食べられるカフェとなっている。

 アントーシカ以外には、「イリューシャ」(男性名イリヤの相性で、イリューシンIl-18を改造して作られていた)という映画館もあった。ペンザ、ノヴォクズネツク、イワノヴォなど多くの市に導入されていた。スクリーンは航空機の尾翼部分に設置され、“ホール”には最大60人が収容できた。

 残念ながら、現在まで残っている航空機映画館はほとんどない。1990年代、地上で使用されていた航空機の多くは略奪、破壊されたり、鉄スクラップとなった。

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