ロシア正教徒が他の宗教に改宗するのは何故なのか?

ライフ
ヴィクトリヤ・リャビコワ
 伝統に対する不理解、両親からの圧力、恋・・・。正教を離脱しようと思う理由はこれだけではない。

 2017年の1月のある日、38歳のウェブ・デザイナー、エヴゲーニーはいつもの習慣でロシア正教の教会で行われる日曜の礼拝に出かけた。入り口で、無意識に十字を切りながら、エヴゲーニーは不満そうな年配の女性たちをかき分けるようにして、教会に入った。

 「何か古代スラヴ語で歌をうたい、ぶつぶつと呟き、老婆たちがわたしを押してきた。それからロウソクを買うように言うのです。どこに言って、何をどこに差し込むのかさっぱり分かりません」。エヴゲーニーは通わなくなる直前の礼拝を思い出して、こう話す。「それから、神父がいきなり大統領選挙で誰に投票するべきかと話し出したのです」。

 エヴゲーニーによると、その瞬間、“熱いナイフで切りつけられたような”感じがしたのだという。彼は人混みの中に立ちながら、教会で自分が一体何をしているのか分からなくなった。そしてそのとき、正教会を去ろうと固く決心したのである。

 全ロシア世論調査センターが実施した世論調査(https://wciom.ru/index.php?id=236&uid=9847)によれば、2019年、国内で宗教を持つ人のうち、ロシア正教徒が全体の63%、残りの37%がその他の宗教、宗派(無神論者は考慮しない)であった。この統計では、どれくらいの人がロシア正教から別の宗教に移ったのかについては触れられていない。

強制と謙虚さ

 全ロシア世論調査センターによれば、66%の正教徒が幼いころに両親の決定により洗礼受けているが、エヴゲーニーもその例外ではなく、洗礼を受けた後は両親とともに長く礼拝に通った。しかし25歳くらいになったころ、姉が亡くなり(理由は明らかにしなかった)、その1年後、最初の妻と離婚した。そのときに彼は信仰について疑問を持つようになったという。

 「あちこちの修道院や教会を巡るようになり、すべてのことに関心を持つようになりました。なぜ祈らなければならないのか、礼拝はどのような意味を持ち、何を与えてくれるのか。神父はなぜ謙虚であれとおっしゃるのか、なぜ精進期があるのか、そして神父自身はなぜ豪華な衣装を身につけているのか。しかしその問いに対する答えはぞんざいなものでした。とにかく祈りなさい、聖書を読みなさいと。正教そのものが、そのような行動と態度をもって、わたしを遠くへと押しやったのです」とエヴゲーニーは回想する。

 テレビ局「ロシア24」で放送されている番組「教会と世界」の中で、イラリオン・ヴォロコラムスキー府主教は、この神父がエヴゲーニーに対してこのような態度をとった理由について、小教区の神父たちがかなり多忙であるためかもしれないと述べている 。府主教によれば、聖職者たちは仕事が多く、家族と触れ合う時間もないという。

 アレクサンドル・ミトロファノフ修道司祭も府主教に同意する。

 「疲労、仕事の多さ、燃え尽き症候群、多忙、あるいは単に才能の欠如というものが聖職者にも影響を与えています」とミトロファノフ司祭は説明する。「あるいは、自分は十分に愛されなかったから、宗教に入信したのだと言って、誰かを非難したくなるような人もいるのです」。

 エヴゲーニーは2人目の妻と2人の子どもとともに新しいアパートに引っ越したとき、正教からカトリック教へと改宗した。アパートはカトリック教会の近くにあった。

 「わたしと妻が教会に入ると、礼拝が行われていました。若者が多くて驚きました。そして皆、何を祈っているのか理解していて、誰も周りの人を怪訝な目で見たりしませんでした。わたしたちは礼拝には参加しませんでしたが、高揚感、統一感というものを感じました。そのことを忘れることはないでしょう。それから神父の元に行くと、彼はわたしに自分から逃げているのではないですかと尋ねたのです。それで魅了されてしまいました」。エヴゲーニーは嬉しそうに回想した。

 それから教会では、エヴゲーニーと妻のために、カトリック教会の歴史と成立についてのレクチャーが行われた。2人が正しい選択をしたことを確信するためである。そして1ヶ月後、エヴゲーニー夫妻は洗礼を受け、カトリック教徒になった。

 エヴゲーニー曰く、カトリック教に魅かれた1番の理由は、オープンであるところ、そして質問に答えようとしてくれるところだという。

 そして次のように締めくくった。「まだ祝日には慣れませんが、毎回、礼拝で、今日がなんの祝日で、何の意味があり、なぜそれが重要なのかを話してくれます。正教に戻りたいとは思いません。改宗は熟考の結果、決めたことです」。

切れた鎖

 25歳のユーリー・ワシュリンはチェリャビンスク出身の中国語・英語教師である。彼は19歳のときに正教から仏教へと改宗した。ユーリーは、3歳のとき、母親の意思により洗礼を受け、10歳から15歳のときには、地元の教会で祭壇奉仕者を務めた。学校に友達はいなかった。ユーリーは非常に控えめで、引っ込み思案だったからだ。

 ユーリーは言う。「いつも教会に連れて行かれ、朝晩祈りを捧げ、そして精進するようにと言われ続けていました。子どもというのは基本的に批判的な思想を持たないもので、わたしはそれらを必要なことと受け止めていました」。

 しかしティーンエイジャーになり、正教会の権威主義というものが鼻につくようになったのだという。

 「ただ神父たちがそう言うから、そして神がそう望むからというだけで、儀礼を守らなければなりませんでした。それに、多くの儀式や戒めについて、その合理性に疑問を持つようになったのです。そして知れば知るほど、それは見かけ倒しに思えてきたのです」とワシュリンは言う。

 またユーリーの両親も、時とともに正教に近い別の新興宗教に熱中するようになったのだという。

 ユーリーは、「彼らは反キリストが来るのを待ち、フリーメーソンの陰謀論を信じていました。自分はこれらのすべてを信じまいと、わたしは東洋学部に入学し、中国語と中国文化を学ぶようになりました。そして東アジアに興味を持つようになりました。東アジアでは常に仏教が大きな役割を果たしていました」と述べている。

 ユーリーによれば、彼を魅了したのは、仏教の「強制的でないところ」と「聖典にそれほど縛られないところ」だという。ユーリーの故郷の町には仏教寺院はなかったため、独自に仏教徒たちの聖典の勉強を始め、瞑想するようになった。

 「ブッダの言ったことを盲目的に信じる必要はなく、必要なのはそれが自分自身に合っているかどうかを確かめる必要があるというところにとても魅かれました。「幸い、両親はもうそれほど熱狂的な信者ではありませんでした。地元の聖職者らはわたしのことを反逆者と言いましたが、なんだか自分の体から鎖がほどけていくような感じがしました。不愉快な圧力を受けることなく生活し、もっと世界に対してオープンになれるのだと感じました。言ってみれば、わたしはまともな人間になったのです」。

女性のための(そして女性に反対する)宗教

 音楽専門大学の合唱指揮コースで学ぶ、背の低い華奢なブルネット、ダリヤ・フメリョワはまもなく18歳になる。SNSの中で、彼女がパーティにいる姿を見ることはできない。より正確に言えば、彼女の姿はまったく見ることができないのである。写真は背中から映ったものだけ、そしていつもヒジャブやプラトークをかぶっている。写真には、イスラム教徒と思われる若い男性が映り込んでいる。ロシアで人気のSNSフ・コンタクチェにある彼のページには、嫉妬は義なる人に備わった性質であると書かれている。一方、彼女のページは、イスラム教徒のためのグループからの投稿や「改めよ」というフレーズが書かれた画像で彩られている。ダリヤは昨年、両親の反対を押し切って、正教からイスラム教に改宗した。

 「5歳くらいのときに洗礼されたのですが、そのときはとても幸せでした。十字架も下げていましたが、それがしばらくして半分に割れてしまったのです。それは何かの兆候だったのかもしれません」とフメリョワは話す。

 両親はイスラム教はあまりに規則が厳しいと言って、批判していた。そしてダリヤもそれを信じていたのである。しかし14歳になったとき、両親の言っていることが本当に正しいのか確かめてみたくなったという。ダリヤはクラスでたった一人、イスラムについての論文を書くことにした。両親たちが「正しくない」と考える宗教をより深く知りたくなったのである。

 「そのときの論文は今もとってあります。わたしがまず驚き、興味を持ったのは、イスラムの女性は(多くの人々が考えているような)奴隷でも使用人でもなく、夫に大切に守られる宝だと言うことでした」とダリヤは回想する。

 3年かけてイスラム教へ改宗した。「最初、わたしはソーシャルネットワークで、イスラム教徒の友人を作りました。サラートという礼拝を覚え、わたしを助けてくれる女性を探したのです」と彼女は言う。

 その後まもなくして、彼女はイスラム寺院に出向き、イスラム教徒になった。彼氏がイスラム教徒になることを強要したのかどうかについて、ダリヤは口にしなかった。そして両親や姉妹がどんな反応をしたのかについても口を濁した。ただ、改宗のプロセスは家族全員にとって非常に難しいものだったと言い、両親は彼女を理解しようともしなかったという。またダリヤ自身も、最初の数ヶ月は自分の選択が果たして正しかったのかどうか自問したと打ち明けている。

 「しかし、コーランを読んでいると、疑念はすぐに消えました」とダリヤは言う。

 一方、イスラム教徒の男性を好きになったからと言って、すべての正教徒がイスラム教に改宗する訳ではないと29歳の環境学者、アミナ(イスラム改宗前の名前はアリョーナ)は言う。彼女は数年間、宗教について学んだ後、2年前にイスラム教を受容した。

 「イスラム教自体は非常に分かりやすくて、ややこしいことは何一つありません。これが正教なら、神は父と子と精霊の三位一体などと言って、まったく理解できないし、説明もできません。一方、イスラム教において何より大切なのは両親と女性を大切にすることだとされています。これは重要なことです」。

 アミナによれば、シャハーダ(アッラーフと使徒ムハンマドへの信仰告白)を読んだ後、イスラム寺院は調和と喜びに溢れた友好的な雰囲気に満ちたという。彼女は現在も学業を続けている。最近、欠陥学の教員養成コースを修了し、専門を生かして働いているが、近いうちに結婚したいと考えている。アミナの両親は最初はイスラム教を「警戒」していたが、のちに和解したという。

「意識的に神に向かっていくことが大切です。それをどのような方法で達成するかはそれほど重要ではありません」とアミナは確信している。

問題は宗教ではない

 アレクサンドル・ミトロファノフ修道司祭は、ロシア人が正教から別の宗教に改宗することはほとんどないと指摘する。

 修道司祭は言う。「わたしが知っている限り、2人だけです。1人は古儀式派に、もう1人は最初は古儀式派に移り、それからイスラム教に改宗しました。しかしわたしが思うに、これらのケースは、宗教の意味を模索して改宗したわけではなく、ただ彼らが一箇所に留まっていられないタイプの人間だったからではないでしょうか」。

 また修道司祭は、ロシアでは、どちらかというと逆の状況で、ほかの宗教、宗派や信仰宗教からロシア正教に改宗している人の方が多いと指摘する。

 そして締めくくりにこう述べている。「正教を理解し、深く知ることができずに別の宗教に移っていくというケースもあるかもしれませんが、一般的には、正教に出会い、それを理解した人は、その愛を一生貫いていくものです」。

「ロシア・ビヨンド」がLineで登場!是非ご購読ください!