現代も使えるソ連式しつけの10の原則

Sergey Solovyov/Sputnik
 ソ連は天才的な研究者、優れたスポーツマン、そして創造的な知能が溢れていることで広く知られていた。これは優秀な遺伝子プールだけでなく、ソ連のしつけにおける原則によっても説明することができる。その原則をいくつか紹介しよう。

 ソ連における幼年時代というもの、そしてソ連で子どもたちがどのように育ってきたのかということを理想化する必要はない。そこには多くの暗い面があり、一義的とは言えない規則があった。もっとも有名なものを挙げるなら、「できないなら、教えよう。したくないなら、やらせよう」というものだ。

 ソ連のしつけにおける多くの原則は1930年代に伝説的な教育者アントン・マカレンコによって打ち立てられた。当時ロシアにはホームレスの子どもたちが多数存在し、そうした子どもたちは後に犯罪者になった。そこで政府はホームレスの子どもたちを通りから集め、孤児院に収容したが、それらの子どもたちを“普通の子”にするのは非常に困難なことであった。しかしマカレンコは、幼い犯罪者たちの矯正施設で子どもたちをしつけ直し、人類共通の価値観と高い道徳心を持つ、社会のれっきとした一員に戻すのに成功した。

 彼の経験の多くがソ連の教育法の教科書に盛り込まれ、ソ連の教育システムの中でうまく実践された。以下がそのいくつかである。

1. 規律正しい生活 

 乳児期から子どもの時間管理には多くの注意が向けられた。すべてが厳格に時間に区切って行われたのである。睡眠や授乳もうそうであった。

 決められた授乳の時間と時間の間に赤ちゃんが泣いても、おっぱいをあげてはいけないとされていた。ソ連の看護師らは若い母親の家を訪れ、赤ちゃんの体重の増減を厳しくチェックした(ソ連ではこれも規則となっていた)。

 この問題に関するこうした規律はもっと成長した年齢になってからも維持された。保育所や幼稚園、学校でも食事は同じ時間に与えられ、母親にも決められた食事の時間外におやつを与えないよう助言がなされた。

2. 子どもたちを鍛え、新鮮な空気の中で寝かせる

 新鮮な空気は子どもの免疫と健康にとって有益なものと考えられていたため、勇敢な母親たちはものすごい酷寒の中でも、ベビーカーを押しながら数時間、散歩をした。また多くの子どもたちは外で午睡をした。

 これは幼稚園でも同じであった。子どもたちは外で寝かされたのである。この習慣は、さまざまな病気の蔓延を防ぐという意味も持っていた。

 これとは別に外で冷水摩擦を行うという習慣があった。これも心臓を始め、健康にとても良いとされた。ソ連時代の主要なスローガンの一つが「健康な体には健康な精神が宿る」というものであった。

3. 体操やスポーツに親しむ 

 学校では必ず体育の授業があった。そしてその内容は季節によってさまざまであった。冬にはクロスカントリー、夏には新鮮な空気の中でランニングといったように。それ以外の季節の体育の時間は室内で行われ、ランニングや体操、チームゲームなどをした。

 子どもや大人に体操をさせようと、当時絶大な人気があったシンガーソングライターのウラジーミル・ヴィソツキーは、朝の体操の重要性を歌った面白おかしい小曲を作った。

 

4. 社会性を身につけさせる 

 子どもたちは本当に幼い頃から(乳児期から)保育園に預けられた。というのも、母親はできるだけ早くソ連国家のために職場に復帰しなければならなかったからである。そして、子どもが保育園で身につけることができる重要な能力は社会性であった。子どもたちは、集団の中で生活し、作業をすることを学び取り、自分が属する集団に対して責任を持つことを理解するようになるのである。

5. 責任感を養う 

「他人の労働を尊敬しなさい!君が汚したのだから、君が掃除しなさい!」

 集団的責任というのは、最近よくある学校でのいじめに対抗するのに非常に役立つ手段である。

 アメリカのアカデミー会員で発達心理学者のユリー・ブロンフェンブレナーは1970年代に、ソ連の子どもたちがどのようにしつけられていたのかを詳細に研究し、「二つの世界の子どもたち:ソ連とアメリカのしつけと教育」という著書を発表した。その中で彼はソ連の学校で問題のある行動を対処する方法について述べた女性教師の次のような言葉を引用している。

 「10歳のヴォーヴァがアーニャのおさげを引っ張っている。それを見てわたしは1回、2回、3回と注意するのですが、彼は一向にやめません。そのようなとき、わたしはクラス全員に彼の行動に目を向けるよう促します。それでわたしは安心できるのです。休み時間にピオネール(共産党の少年団)のグループの係りの少年たちがヴォーヴァと話してくれるからです。ヴォーヴァの規律を逸した行いがグループ全体の評価に響くと説明してくれるのです」。

6. 自立性を育て、労働に従事させる 

「私たちは何でもできる!ママを手伝っている!」

 集団責任というものを感じつつも、子どもは自分自身にも責任を負わなければならない。しかも幼年時代から子どもには段階的に大人としての生活の準備を始める。子どもは必ず大人や両親を手伝い、それを通して、家事、料理、そして簡単な手作業を覚えていくのである。

 「5年生(11歳ごろ)くらいのときから、わたしには休日に部屋を掃除し、買い物に行くという役目がありました。わたしはいつも、もうそれが当たり前のことだと思って、疑うこともなくやっていました。双子の妹はこの間に家族の昼食を用意していました。両親は仕事をしていることもありましたし、休んでいることもありました」とモスクワ出身のセルゲイ(62)は子ども時代を振り返り、このように話す。

 学校でも「技術・家庭」という授業があり、女子と男子は別々に授業を受けた。女子は裁縫や料理を習い、男子は釘の打ち方やカンナやノコギリの扱い方、溶接、それに簡単な電気工事などを習った。

7. 自由時間を極力減らす

「延長の学校をありがとう!」

 ソ連の子どもはとにかく常に何かに忙しくしていなければならなかった。やることが多ければ多いほど、すべてをうまくこなしていけるようになるという考え方である。それは職場、そして党のチーム内での社会活動に向けての準備であった。

 子どもは放課後も延長学習のために学校に残るか、または必ず何らかのサークルに参加した。子どものための創作クラブやスポーツクラブ、音楽学校がたくさんあったのである。子どもたちの多くは2つ以上のサークルに入っていた。これは子どもの発達を促すのはもちろん、両親の悩みを軽くするものでもあった。仕事をしている間に子どもが何をしているのか心配する必要がなかったからだ。

 両親は子どもたちにより良いものを与えようとした。それは自分たちが子どもの頃には得られなかったものである。そこですべてのお金は子どもの教育と発達のために使われた。そして子どもたちにはあらゆる競技大会や数学などのオリンピックに参加するよう奨励された。

8. 甘やかさない

「ぼんぼんに育ててはいけない!」

 自分たちの子どもを甘やかさないよう厳しく提言された。甘やかせば怠惰な甘えん坊になると考えられたからである。そんなわけで、ソ連の子どもたちは今の子どもたちのようにたくさんのおもちゃを持っていなかったし、洋服や贅沢品を持っていなかった(もちろん、モノ不足の影響もあったのだが)。ソ連の市民は幼いときから慎ましやかであった。

 甘やかされた子どもたちは必ず反社会的な人間、あるいは犯罪者になると考えられていた。

9. 自然への愛を育む

 すでにご存知のように、ソ連の子どもたちは多くの時間を済んだ空気の中で過ごした。多くのサークルも屋外で行われており、植物学や動物学が非常に盛んで、若きナチュラリストたちのいくつものグループが地元の自然の特徴を研究した。また子どもたちは森に散歩に連れていかれることも多く、登山や「バイダルカ」と呼ばれるカヤックのレッスンも行われた。

 もちろん両親もしょっちゅう子どもたちを郊外に連れ出し、魚の釣り方や、キノコの採り方を教えた(キノコに関して重要なことは食べられるキノコをどうやって見分けるかということであった)。

10. 道徳心を育てる

「決して嘘をついてはいけません!」

 美徳についての教えにも大きな注意が払われた。有名な詩人マヤコフスキーは「何が良くて、何が悪いのか」という詩を書いたが、その詩はとてもよく知られるようになった。宗教がなかったため、行動の規則は聖書を通してではなく、ソ連の市民と共産主義の建設者の道徳的規範を通して説明された。しかしそれらは10の福音の戒めとほぼ変わらない。

 もっとも重要なことは、自分自身ではなく、他人のために生き、個人の利益や富を追求せず、嘘をつかず、清潔さを保ち、年配の人を敬うということであった。公共交通機関ではお年寄りに席を譲り、道を渡るのを助け、重い荷物は持ってあげるのが当たり前であった。

「こんな風になってはいけない!」

 また子どもに教えたもっとも重要な価値観の一つが家族であった。家族というのはソ連社会にとっての重要な核だったからである。

 そこで子ども時代から、女の子たちは母親になる準備をし、家事をした(加えて、これが彼女たちにとっての唯一の義務だとは教えられなかった。つまり職業的な性質も育てられたのである)。男の子たちは体力を必要とする「男性の仕事」をするよう教えられた。また従軍することもとても重要なことであった。

 現在75歳のイワンは言う。「軍隊に入っていなかった者たちはただ笑われたものです。女性たちもそんな男とは付き合おうともしませんでしたね」。

 そしてもちろんソ連の子どもにとって(そしてもちろん大人にとっても)主要な価値観だったのは、祖国に対する忠誠と愛であった。そのためには歴史、文化、地理をよく知り、プロレタリアートが腐敗した資本主義者から全世界を解放したソ連の偉大な役割を理解する必要があった。

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