「不滅の連隊」が現在の形で初めて行われたのは、2011年、シベリアのトムスク市だ。今年、「不滅の連隊」は世界110か国、500都市以上で開催。人々は、第二次世界大戦で戦った親戚の写真を掲げて、行進に参加する。年々、参加都市の数が増えている。
「不滅の連隊」は、アメリカ在住のロシア人青少年、および「米国在ロシア人連絡評議会」(KSORS)の主催で、2015年以来、米国で開催されている。最大の行事は、ニューヨークで行われる慣例だ。毎年、ロシア人、ロシア系住民と地元民が2千人以上が参加。行進した後、彼らは露米両国の国歌を歌い、空に何百もの白い風船を放つ。それぞれの風船には、斃れた兵士を象徴する鶴の絵が描かれている。
今年、「不滅の連隊」は、サンフランシスコ、アンカレッジ、シカゴ、シアトル、デンバーを含む、米国の25都市で開催された。首都での行進は、ホワイトハウスの近くで開催され、約1千人が集まった。米国の「ロシア人コミュニティ評議会」の議長であるエレーナ・ブランソンさんは、米当局が「不滅の連隊」のイニシアチブを支持し、地元の人々もしばしば行列に加わると述べた。
今年2019年、アルゼンチンの5都市で「不滅の連隊」が開催された。マルデルプラタ、ロサリオ、オベラ、パラナ、そしてブエノスアイレスの各都市だ。先祖の記憶を新たにするために、200人以上の人々が首都に集まった。大祖国戦争(独ソ戦)が始まった1941年にエヴゲニー・ドゥナエフさんはわずか4歳だったが、スモレンスク州で敵が自分の村を焼き払ったことを忘れられない。マリア・カダルさんは、父親が「クルスクの戦い」で亡くなったとき、10歳だったという。
日本在住の人々も、第二次世界大戦で戦った将兵を記念して行進に参加した。東京での行事には、ロシア人や様々な国の外交官など、約200人が集まった。行進に参加したヤッファ・ベンアリ在日本イスラエル大使は、自分の父親の家族がロシアに避難所を見つけたと述べ、すべての人々は「自分たちの国を守り、世界を最大の悪から守るために生命を捧げた」人々に感謝すべきだと語った。
厳粛な行列は、ANZAC Day(アンザック・デー)に開催された。この日、毎年4月25日に、第一次世界大戦のガリポリの戦いで戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の将兵、および国のために戦った人々を追悼する。ロシア系住民が、「不滅の連隊」のペナントのもと、シドニー、アデレード、そしてゴールドコーストで行進した。行進は、大祖国戦争に参加した軍人によって率いられた。
3年連続で、「不滅の連隊」が韓国の釜山で開催された。今回は、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ウズベキスタンの退役軍人など、約400人が行進に参加。 行進の後、参加者は、戦時中の歌を歌うコンサートを行い、彼らの親戚の物語を共有した。
雨天にもかかわらず、150人が第二次世界大戦の記念碑を訪れ、約400人のソ連軍将兵が埋葬されているオールスドルフ墓地に献花した。ロシアとドイツの平和と調和の象徴として、参加者たちは白い鳩を空に放った。
「不滅の連隊」は、当地では今年2019年に初めて開催され、市内中心部に約100人の参加者が集まった。ロシア系住民は、彼らの親戚の写真展を開き、戦いに倒れた兵士を追悼し、一分間の黙祷を捧げた。
イタリアの首都では3年連続で行進が行われ、数百人が参加。「我々の行進は、ミラノ、ボローニャ、パレルモを含むイタリアの様々な都市で行われている」。イベントのコーディネーターはこう語った。
フランスの首都でのイベントは、「平和と記憶」というスローガンのもと、2015年から開催されている。数百人が親戚の写真を掲げて通りを下って行った。主催者は、「不滅の連隊」は、政治と無関係に、人間尊重のためだけに開催されるべきであると指摘した。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。