マリア・ブティナ容疑者に米国で実刑判決:「女性としての魅力」をスパイ活動に利用した?

AP
 マリア・ブティナ容疑者に対し、アメリカで判決が出た。ロシア・ビヨンドは、彼女についての情報をまとめてみた。彼女は有力政治家らの支援を取り付けていたが、一般市民は納得させられず、結局、刑務所行きとなった。

 2018年7月15日、アメリカの警察は、ロシアの利益のために米政界に影響力のある組織に接近した容疑で、ワシントン在住のロシア人女子大生(当時29歳)を逮捕した。 まもなく、全世界がマリア・ブティナについて知ることになった。

 2019年04月26日、マリア・ブティナ(30歳)に対し、ロシアの利益のために米国の国益を損ねたとして、首都ワシントンの連邦地裁は、禁錮1年6月の実刑判決を言い渡した。

 マリア・ブティナのキャリアの急上昇と劇的な転落は、ワシントンの遥か彼方で、モスクワから約3千キロ離れたロシアの国立大学で始まった。

全米ライフル協会(NRA)のロシア版の始まり

 バルナウル市のアルタイ国立大学の学生が演説と討論のテクニックを磨くサークル活動を始めたとき、そのわずか数年後には、彼らの5人のサークルが、ロシア人の武器所有の権利獲得を目指す、本格的なロシアの全国組織に成長するなどとは、誰も想像できなかった。この組織はいわば、全米ライフル協会(NRA)のロシア版だった。

 「我々は興味を同じくする仲間で、ディベートを行っていた。その後、何人かの教員が米国で研修を受け、彼らは、米国のリバタリアニズム(自由至上主義)の影響を多く受けた。バルナウルのサークルは、古典的な自由至上主義に浸された。すなわち、市場経済、私有財産、武器所有の権利」。このディベート・サークルのメンバーの一人、イワン・ゾリキンはこう語る。

 間もなく、ロシアにおける武器所有の権利確立のイデーは、サークルのメンバーたちの心をとらえてしまう。その考えを吹き込んだのが、マリア・ブティナだった。

 既に当時から彼女は政治的野心を持っていたと、ブティナの知人たちは振り返る。2010年に、ブティナは「統一ロシアのモロダヤ・グヴァルディヤ(若き親衛隊)」(与党「統一ロシア」の青年組織)の予備選挙に参加した。そして、ロシア人の武器所有の権利を基盤に選挙綱領をつくった。

 2011年、与党「統一ロシア」のモスクワの代表団が、バルナウルにやって来た。そしてブティナは、政界のエリートの視界に入って来る。

「我々のプログラムを気に入ってもらえた」。ゾリキンは振り返る。彼は、予備選挙の組織・運営でブティナを手助けしていた。「話をしようということで、ブティナはモスクワに招待された」 。間もなく、23歳だったブティナは、バルナウルの小さな家具屋を売り、モスクワに引っ越した。そして、組織「武器所有の権利」を正式に登録する。

「ロシア国民に武器を」

 だがブティナがモスクワに落ち着くのは容易でなかった。バルナウルのビジネスを売却したお金で、モスクワのサヴョーロフスカヤ駅付近にオフィスを賃借りして、ロシア国民の武器所有権の獲得のため、ロビー活動を始める。

 「(ロシアでも)武器の所有が認められているのに、人々はそのことを全然知らないことが分かった」。雑誌「GQ」は、ブティナの言葉を引用している

 こういう困難な条件のもとでブティナは、影響力のある人々の支援を得ようと、あらゆることをやった。

 「しかし多くの問題は容易にクリアされた。若い女の子だったからだ。いい年した、それなりの地位の男たちは、どこかの女の子がこんなテーマで、しかもこれほど真剣に準備してやって来たので、とても面白がった」。こう言うのは、ヴャチェスラフ・ヴァネエフ。彼は現在、この組織のメンバーから「非公式なリーダー」と呼ばれている。

 ロシアの民族主義的政党「ロシア自由民主党」の指導者ウラジーミル・ジリノフスキー、ショーマンのイワン・オフロブイスティン、テレビ司会者ウラジーミル・ソロヴィヨフ、政治家アレクサンドル・トルシン、その他の有力者…。ゾリキンによると、彼らの組織の支持者は枚挙に暇がない。ゾリキンは、ブティナの顧問的立場で、アルタイ地方における連絡係だ。

 この組織の運動がモスクワで支持を集め始めるにしたがい、目標も広がり始めた。「武器所有の権利」は、国内政治のいくつかの側面への参加を主張し出した。

 最盛期には、この組織の運動には、3つの主要な活動分野があった。武器所有の合法化のための集会、最高裁判所での自衛権の見直し、そして行為能力を有するロシア国民すべてのピストル所有の合法化だ。

 しかし、いく人かの有力者が支援したにもかかわらず、「武器所有の権利」は、主要な「敵」つまり一般市民にぶつかった。一般のロシア人は、ピストル所有合法化のテーマには全然なじみがなかったからだ。

 運動のピーク時には、5千~9千人のメンバーを擁したが、そのほとんどは人権や立法活動には興味がなかった。多くの人はただ射撃場に行き、他の射撃のアマチュア愛好家と交流するのが気に入っていたにすぎない。

 「武器は持っていたが、(武器所有権の)拡大には反対という人もいた。そういう人は、我々には興味を示さなかった」。ゾリキンは語る。

本家本元の全米ライフル協会(NRA)

 歴史上最も影響力のある武器ロビーであるNRAの経験を知ることが、ブティナとその仲間にとって必須だった。彼女の生まれたばかりの「子供」を夭折させないために。

 「橋渡しをしたのはトルシンだ」とヴァネエフは言う。上院議員で銀行家のアレクサンドル・トルシンが、ブティナとNRAをつなぐ環となった。

 「トルシンは既にNRAの終身会員であり、その会議に出席していた」とヴァネエフ。ブティナはトルシンのアシスタントとなり、彼と一緒に渡米して、NRAのメンバーと会うことができた。

 2016年にブティナは、学生ビザで渡米した。しかし、早くもその2年後、米国の捜査線上に浮かびあがる。2018年12月、ブティナは米検察との司法取引に応じ、法務省に登録せずに米国内でロシアのエージェントとして活動していたことを認めた。

 しかし、ロシアにおけるブティナの支持者は、彼女のNRAへの接近には別の目標があったと言う。

  「我々の組織の目的は、独立採算でやっていけるようになることだった。独立採算を達成した組織として、NRAは我々に興味があった。彼らはどうやってこんな組織を作れたか?我々はそこからどんな教訓を引き出せるか」。ヴァネエフはこう語る。

 しかし、米捜査当局の考えは違った。2018年7月、米警察はブティナを逮捕した。彼女はそのときまでに、アメリカン大学(ワシントンにある私立総合大学)に入学し、NRAおよび共和党と重要なコネクションを築いていた。そのなかには、保守派の政治戦略家ポール・エリクソンとのロマンスを含まれていた。

 こうして2019年04月26日、ブティナに対し、ワシントンの連邦地裁は、禁錮1年6月の実刑判決を言い渡した。 

 米国でブティナが逮捕された後、「武器所有の権利」は、法人としては消えたが、その「細胞」はハバロフスク、カザン、ペルミ、サンクトペテルブルクに残っている。これらの細胞は、政治的行動はとらないが、米国の自由至上主義の理念、とくに銃の所有権のそれに依然忠実だ。

 しかし、ブティナの最も忠実な支持者たちは、今日の「沈滞」を気にしていない。

 「彼女はへこたれる人間じゃない。ロシアに戻ってきたら、私は政界での活動を勧める。彼女のコネと、こういう無料のPRがあれば(ロシアでは彼女には将来がある)」。ヴァネエフは言う。

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