コインの価値は、その発行数による。数が少ないほど高価になる。最も稀少な硬貨は、見本にとどまったもので、さまざまな理由から流通しなかった。
「コンスタンチンの1ルーブル銀貨」は、皇帝の肖像が刻まれているのだが、その人物は実は決して皇帝になったことがなかった。こういう類の硬貨は、ロシアにはこれしかない。
アレクサンドル1世(パーヴェル1世の長男)の死後、パーヴェル1世の次男コンスタンチンが即位するはずだったのに、コンスタンチンは、パーヴェル1世の三男、ニコライに王座を譲った。
今日、コンスタンチンの戴冠式のために特別に鋳造された見本のコインは、わずか8枚を数えるのみ。ちなみにコンスタンチンは、兄アレクサンドル1世の生前から既に即位を辞退していた。スキャンダルを避けるために、すべてのコインは、ニコライ1世の戴冠式の直後に隠され、決して日の目を見ることはなかった。
「これはロシア最高のレジェンドの硬貨」。こう言うのは、「コイン・メダル・オークションハウス」のイーゴリ・ラヴルク支配人だ。いちばん最近「コンスタンチンの1ルーブル銀貨」が売られたのは2004年で、価格は52万5千ドルだった。ラヴルク支配人の推定によると、現在、このコインは500万~1千万ドルするだろうという。
このコインは2012に380万ドルで落札された。今日ではもちろん価格はもっと上がっている。
幼帝イワン6世が即位したとき、彼はまだ1歳にも満たなかった。そして即位後すぐに、ピョートル1世(大帝)の次女、エリザヴェータのクーデターで帝位を追われ、生涯ずっと捕らわれの身として過ごし、23歳のときに殺害された。
硬貨には皇帝の肖像を刻むのが慣例だったにもかかわらず、イワン6世は幼すぎて、それができなかった。そこで、肖像の代わりに彼のモノグラムが刻まれた。当然のことながら、このコインは、幼帝がすぐさま廃されたため、流通しなかった。「このコインは非常に珍しい」とラヴルク氏。
「エリザヴェータの20ルーブル金貨」がいちばん最近落札されたのは2008年のことで、これでオークションハウス「James's Auctions」は250万ドルを得た。このコインは、純金製で額面20ルーブル。一度も流通したことがなく、より一般的な10ルーブル金貨とはサイズが異なる。
「たぶん、この金貨の額面があまりに大きかったため、流通させなかったのだろう。1755年当時、人々は主に銅貨を使っており、20ルーブル金貨があれば、いくつかの村が買えた」。ラヴルク氏は解説する。
ラヴルク氏の推定では、今日このコインは300万ドルはするという。
19世紀前半の皇帝ニコライ1世の治世には、ある種のイベントを記念して硬貨が発行されることがよく行われるようになった。皇帝一家の子供の誕生、皇太子の結婚といったできごとの記念硬貨だ。ごく少数しか鋳造されなかった見本のなかには、さまざまな理由で皇帝の裁可を得られなかったものがある。
ヤーコブ・ レイヘリが1845年にデザインした1ルーブル銀貨もその一つだ。硬貨には、ニコライ1世の横顔が刻まれているが、なぜか首が非常に細長くのびている。この首が、鋳造不許可の真の理由であったかどうかは定かでないが、皇帝が拒絶したのは確かだ。この硬貨の価格がその後非常に高くなったのは、まさにこの皇帝の拒絶のため。今日、その価値は200万ドルと推定されている、とラヴルク氏は言う。
この銀貨の発行が断念されたのは、その鋳造が難しかったためだ。裏面の紋章「双頭の鷲」は、聖アンドレイ勲章の鎖に囲まれている。これが、「鎖のついたアンナ」というあだ名の由来だ。
鎖を表す多数のディテールを含む型を作るのは至難と考えられた。そのため、鎖はあきらめて、より単純な同様のコイン、つまり鎖なしのコインを鋳造することにした。「鎖付き」が珍しいのはそのためだ。
最近このコインがオークションで競売されたのは2010年で、価格は46万ドル。「今なら、状態の良いものは約100万ドルはするはず」。ラヴルク氏は言う。
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