ロシア人が私の人生をどう変えたか:ブラジル出身のマルコス

ライフ
マルコス・カリー
 マルコス・カリーは多くの旅をしてきた。これまで世界60ヵ国以上を訪れ、これからもまだまだ旅したいと考えている。しかしそんな彼にとってロシアは一番お気に入りの場所の一つである。

 ロシア人と議論をするなら、相手より大声を張り上げることだ。―そうすれば議論に負けることはないと思って間違いない。どうやってそれを学んだかって?それは・・・。

 バイカル湖に浮かぶオリホン島への旅からイルクーツクに戻るとき、乗り合わせたクルマはかなり空いていた。運転手の他はロシア女性の観光客とわたしたちだけであった。クルマが給油のためガソリンスタンドに寄ったときに、わたしは何か食べ物を買うことにした。当然ここは目的地ではないのだが、わたしと同行者が店を出たときにはクルマはすでに出発していた。

 想像してみてほしい。わたしたちは雪のシベリアの真ん中にいて、パスポート等の書類やその他の旅の持ち物はすべてクルマの中に置いたまま。同行者はジャケットすら着ていなかった。店に戻ると、中にいた人たちはとても同情してくれた。英語はまったく通じなかったものの、少しでも気を楽にさせようと努めてくれた。同行者はほとんど泣きそうだった。店にいた地元の人たちは、オリホン島のわたしたちが泊まっていたところに電話するのを手伝ってくれた。オリホン島はとても狭いところだし、冬の間は人も少ないので、お互いに顔見知りなのである。ホテルの支配人は運転手に電話して、わたしたちを乗せるため戻るように頼んでくれた。クルマは引き返して来たが、運転手は戻るなり、わたしに向かって怒鳴り始めた。わたしも負けじと彼よりも大声で怒鳴り返した。それで運転手はわたしが真剣に怒っていると分かり、ようやく折れた。

厳寒を生き抜く

 なにはともあれ、旅の中で最も大変だったのが、厳寒に立ち向かうことであった。ウラン・ウデでは零下32度にも達した。基本的には何重にも重ね着することである。これで零下20度までであればハイキングに出ることができた。

 しかも、ロシアでは気温が下がるとみんなが助けようとしてくれる。そういうこともあって、厳寒で生きる術を身に着けてからは、寒さを恐れることはなくなった。そして、まだ行ったことのないヤクーツク、カムチャツカや北極圏近くの村々を訪れたいという気持ちは今も変わっていない。

 取るに足らないことに思われるかもしれないが、ロシアで生き抜くにはアルコールに強いほうがよい。ロシアでは、薦められた酒は受けるのがエチケットである。断るなんてとんでもない。しかしながら、実はロシア人は思われているほど飲まない。ナイトクラブでは大抵の人は素面である。多くは、人をもてなし、客人をリラックスさせるためのものなのである。異なる言葉を話す人たち相手でも、それは同じことだ。

真のロシアを体験するには

 バイカル湖近くのダーチャ(郊外のサマーハウス)で、これまででもっともロシアらしい経験をした。オームリを使った寿司を家で作り、食べたあと、バーニャ(ロシア式サウナ)に行った。そこは驚くほど熱く、帽子以外はなにも身に着けてはいけない場所である。白樺の枝で打たれるのをも含み、そこでの儀式はすべてとてもエキサイティングで、外に出て雪の中で裸で転げまわった。驚きの体験だった。飲んだのはビールだけだったが、数時間後にはとても酔っぱらった感覚がした。

 もう一つのロシアらしい体験は、プラツカルトと呼ばれる三等列車に乗ったことである。全行程、小さな個室で同じ人とずっといるファーストクラスやエコノミークラスと違って、三等列車(車両じゅうにベッドが詰め込まれている)の旅はもっと人との付き合いが深くなり、料金もずっと安い。必ず何人かの愉快なロシア人と出会うことが出来るだろう。

 それから各車両に乗り込んでいる車掌がとても親切であることをここで強調したい。この女性たちには大いに助けられた。携帯電話を充電したいときは、彼女たちに微笑みかけるだけでよいのである。

 ブラジル人はどんな職業であっても、「わたしたちはもう十分に素晴らしい。さあ、祝おう!」といった感じだ。しかしロシア人は、自分のやっていることは誰よりも最高にやることを望む。

 またロシア人が愛国的であることも、ブラジル人とは異なっている点である。自分の国の歴史についてよく知っており、誇りを持っている。個人主義的なブラジル人とは違い、ロシア人は共同社会の意識や、一つの国である意識が高い。どの町にもレーニン像がある。ウラン・ウデの中心部にはレーニンの巨大な頭部の像がある。ムールマンスク基地の最初の原子力船にも彼の名前が付けられている。ロシア人は大晦日の夜には国歌を口ずさむ。これはとても驚くべきことだ。ほとんどのブラジル人は、深夜になる前にもう酔っぱらっているものなのでね。

*インタビュアー:ダリヤ・アミノワ