私は過去2年間、ロシア語をかなり勉強してきた。その結果、ちゃんとアイスコーヒーをロシア語で注文できる。屋外が寒いのになぜアイスが欲しいのかも説明できる。また、地下鉄でおばあさんたちにぶつかるのを避けるために「すみません」と言うこともできる。それでもやっぱりぶつかってしまった場合でも、「命乞い」をすることだってできる。
だが、ロシア語は難しい…。おまけに私は、ロシアに住む以前は、ロシア語と縁もゆかりもなかった。マサチューセッツの住民がそれについて教えてくれたことといえば、ボルシチは、当時ボストン・ブルーインズでプレーしたことはなかったが、すごくいい選手らしいぜ、ということくらいだった(ブルーインズは、マサチューセッツ州ボストンを本拠としているナショナルホッケーリーグ(NHL)所属のチーム)。
ロシア語を聞いて理解するのもけっこうなチャレンジだが、話すとなるとこれはもう桁違いの試練だ。非ロシア語圏の人の多くは、彼らが言うことをロシア人は理解できないと感じているかもしれない。だが、実はちゃんと理解できていることもしばしばある。
しかし話すこととなると、照れくさいことを脇へ置いても、単に理解するよりはるかに難しい。これに関連して、私が早々と身にしみた慣用句がある。すなわち、「私は犬のようなもの。相手の言うことは分かるが、自分が話すことはできない」
私はしんどい状況でロシア語でやりとりするたびに、言語学上の「ラビット・ホール」に落ち込んだのだが、この慣用句は、まさにその本質を現わしている。そういうケースで特筆すべきが、以下の3つだった。
1. ロシアの店員との事件
あなたがロシアの店で買い物の代金を支払っているときに、店員があなたに何か尋ねたとしよう。その十中八九は、彼らが釣り銭を出しやすいように、あなたの出した札や貨幣の内訳を変えるか、一定額を加えるよう頼んでいるのだ。だからもし、あなたがロシア語の数字を知らず、この手の質問に慣れていないとすると、これは悪夢だ。
そう、それはえらく厄介な状況になりかねない。私がロシアに初めてやって来て、105ルーブルの飲み物を買ったときもそうだった。
私が店員に200ルーブルを渡すと、彼女は私をジロリと見上げ、まるでこう言っているかのようだった。「これでどうしろと言うのかね?」
私はかわいく見えるように肩をすくめてみせた。でも、私はもう30歳近かったので、それは失敗した。彼女は私に向かって早口にまくしたて始めた。私はこう言おうとしたのだが。「私は犬なんだ、犬なんだ!」
私は犬でさえなかった
私は犬よりも魚に似ていた。それも奇跡的に溺れてしまった魚だ。
私は絶望的に、後ろの行列を振り返った。すると、若いサマリア人風の人が言った。
「彼女は、あなたは5ルーブルを持っているかって聞いているんだよ」
「ああ…」。私は言った。「持ってないんだ」
カウンターの女性は、しばらく黙ってから、やおらレジに手を伸ばし、掌に一杯のルーブル硬貨を取り出した。私が棒立ちになっていると、彼女は貨幣を一つ、二つ、三つ、四つ…と数えていった。
私は犬。ポケットもぜんぜんない。
2. 警官との事件
ロシアにやって来た欧米人には不文律がある。警官には話しかけるなということだ。これは別に、彼らが悪人だとか、悪意をもっているからというのではない。しかし、彼らの多くはあまり英語を話せない。だから、警官と話すと誤解されがちで、それは望ましいことではない。
私の母と弟が、私に会いにサンクトペテルブルクを訪れたとき、このことがはっきりした。私たちは、私のガールフレンドといっしょに午前1時ごろ、バーを出て歩いていた。路地に曲がると、1台のバンが止まった。サーカスに出てくるみたいな車から警官たちが飛び出した。彼らは、弟と母の間に割り込み、彼の腕をひっつかんで引き離した。彼らは、かつて私が耳にしたことのない、ありとあらゆるロシア語をがなり立てていた。
そのとき私は、いくつかの素晴らしい文句を口にできただろう。例えば、「おい、やめてくれ!何をするんだ?僕たちは犯罪者じゃないぞ!僕は犬なんだ!犬なんだよ!」。だが私は言葉を失っていた。
この最初の騒ぎの後で、彼らは私たちが無実で、ただの旅行者であることに気付いた。そして彼らは、両掌を合わせて開く、世界のどこでも分かる動作で、パスポートの呈示を求めた。私たちはパスポートを見せ、顔を電灯で照らした。結局、彼らは、バンに飛び乗り、走り去った。
そのとき彼らが喚いたロシア語が分からなかったので、その3分間の“交流”は、私がロシアで過ごした時間の中で最も神秘的なものの一つとして残っている。いったいその夜、母親と二人の息子からなる三人組の強盗団がいたのだろうか?
誰も知らない。
私は犬だ。警察から逃げるには四つ足のほうが速い。
3. おばあさんとの事件
私はロシアのおばあさんたちが怖い。彼女たちは、なにかバカげたことがあると、ほとんど我慢できない。また、こちらが英語をしゃべると、その50%があたかも「たわごと」か、セールスマンの押し売りであるかのように反応する。
さて、私が古いアパートに住んでいたとき、私は誤ってドアを急激に開けて、壊してしまった。ドアが閉まらないので、私は友達のイワンにメールを送り、どうしたらいいか尋ねた。彼は、「今、君のところに行く」と言った。私が店に行き、帰ってくると、年配の女性がそこに激怒して立っていた。彼女はロシア語であれこれ叫び始め、ドアに向かって手を振り上げ、それから私にも振り上げた。それから踵をかえし、立ち止まらずに、私にまたも手を振り上げて、ついて来いと合図した。
歩きながら、私はこう言おうとした。「ごめんなさい。これはアクシデントなんです」。それから、「今、僕の友だちが修理に来ます。ごめんなさい。僕は犬なんです」とも。
だが、彼女はほとんど気付かなかった。彼女は私を彼女のアパートまで連れて行き、ドアの前で待たせた。
彼女は、再び現れたとき、ドライバーとスツール(足のせ台)を抱えていた。私はそれらを持って、自分のアパートのドアに向かった。私がドアを元の場所にはめ込むまで、彼女は懐中電灯で、照らしていた。ついに、ドアが閉まった。彼女は私を見上げて、「マスター!」と言った。彼女は私を指差して微笑んだ(私はそれまでロシアのおばあさんの笑顔を見たことがなかった)。
しばらくして、友人のイワンが到着した。おばあさんは通訳できる人が現れて、興奮した。
「彼女は君がとても助けてくれたと言っているよ。ドアを壊したどこかのアホと違って、君は修理の名人だって」
「ありがとう!」と私はロシア語で言った。
おばあさんは私の肩を撫でた。イワンは言った。「実は君がドアを壊したんだ、と彼女に言おうか?」
「とんでもない!」
私は犬で、時に嘘をつく。
*ベンジャミン・デイヴィスは、サンクトペテルブルク在住のアメリカ人ジャーナリストで、「The King of Fu」の作者。当地で彼は、ロシア人アーティスト、ニキータ・クリモフとの、1年間にわたるコラボで、プロジェクト「Flash-365」を手がけた。今彼は、主として、ロシア文化に関する、現実でありながら摩訶不思議なフラッシュフィクション、自分の失敗談やバーブシュカ(おばあさん)などにについて書き、それらの成果をテレグラムで共有している。