ロシア人が私の人生をどう変えたか:アメリカのベン

ベンジャミン・デイヴィス
 旅行中に僕は確かにある事を学んだ。もし望むなら、ひとつの国を端から端まで歩いて旅することもできる。でも、旅を始めたときにまぬけで、道中誰にも話しかけなかったなら、最後までまぬけのままだろう。

 僕はロシアに着いてイワンという男性と飲んだ。一緒に何杯か飲んで、何かの話をしていたんだ。ホームコメディの話だったもしれないし、天気の話だったかもしれない。その最中に、彼は両手をテーブルにどんと置いた。

 「おもしろくないんだよ!」と言ったんだ。

 僕は何を言われているのか分からずにいると、彼はこう続けた。「俺は何かおもしろい話をしたいんだよ!」

 「どういうこと?」

 彼は酒をぐいっと飲んだ。怒っているようには見えない。「俺は何かおもしろい話がしたいんだよ。おまえはその話がおもしろいのか?

 考えたけど思いつかなかった。だから、「本当におもしろくないよ」と言った。

 「よし! じゃあ、何かおもしろいことを話してくれ」

 僕はもう少し考えた。何かおもしろいことを知っていなきゃいけないことは分かっていた。僕は哲学と文学のことは分かっていて、80年代の音楽がとても好きだ。でも、言うべきことは何も見つけられなかった。僕は話題を探しながら、何も見つけられないと悟った。僕はそれをどこかに置いてきてしまった。あまり好きじゃないいとこの誕生日や、かつて取った数学の授業などを詰め込んでいたうす暗いクローゼットの中に、おもしろい話もしまいこんでしまったのだ。もっと悪いことに、よくよく考えてみると、僕はそういう考えをすべて新しいものに取り替えてしまっていることに気づいた。シックなものを、『ママと恋に落ちるまで』とか、マーベルの登場人物たち分身の名とかについての既製のイケア式の考えに。

 僕はまぬけのように感じた。それでイワンの方を向いてこう言ったんだ。「ごめん。僕はずいぶん長いこと本当の会話をしていなかったと思うんだ。今、何も話すことがないというのがすごく恥ずかしいよ」

 でも僕は運がよかった。彼はテーブルで酔いつぶれていたんだ。

 少ししてから、僕はまた別のイワンという男性の部屋に行った。入ってから、僕は靴を脱ぎ(他人の家に靴を履いたまま入らないようにと厳しく教えられていたので)、イワンと握手した。僕が彼のあとをついてキッチンへ入ろうとすると、彼は立ち止まって振り返った。

 「手を洗いたいだろう?」と訊いてきた。

 僕は肩をすくめて、「別に」と言った。

 「でも、外にいたんだよね」

 「うん」

 「外は汚いよ」

 僕は自分の手を見たが、実のところ全然洗いたいとは思わなかった。だから、こう言ったんです「外ではどこも手でさわったりなんかしていないから」。

 彼は頭を振って、「アメリカ人」のことを何かぶつぶつ言った。それから、僕たちはキッチンに入り、そこでお茶をした。

 その後、僕は、アメリカ人とロシア人の大きな違いが何なのかが分かった。アメリカ人は、自分がするように相手に手を洗えとは言わないだろう。アメリカ人は、奇妙なことですが、自分たちが望んでいることを相手に伝えないことが多いんだ。アメリカ人というのは、相手が自分たちの礼儀の基準を満たさないときに、がっかりしているとはっきりとは言わない。その代わりに、ごまかすんだ。ダンスのときに自分が相手の足を踏んでいるのではないかと危惧しながら、夜の残りの時間を一緒に過ごす、そんな受動的で攻撃的なはぐらかし方をするんだ。

 イワンは座ると僕にお茶を出してくれた。彼は、僕のエチケットに自分が少しがっかりしたことにたいし微妙な言い方をしたり、暗に伝えるようなことはしなかった。自分がどう感じたのかを、率直に簡潔に話してくれたんだ。それで十分だった。それで僕はその時から、自分が感じたことを感じた時に人にちゃんと伝えることにした。その後、僕たちはおもしろい話をした、と思っている。

 ベンジャミン・デイヴィスは、ロシアのサンクトペテルブルク在住のアメリカのジャーナリストで『The King of Fu』の著者だ。サンクトペテルブルクで彼は、ロシア人アーティストのニキータ・クリモフと一緒に、彼のプロジェクト「Flash-365」で1年間働いていた。現在、彼は、おもにロシア文化や自虐的な不幸、さらに「テレグラム」チャンネルで彼のエクスプロイトをシェアしているバーブシュカ(おばあちゃん)たちについてのマジックリアリズム的なフラッシュフィクションを執筆している。

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