ハビブ・ヌルマゴメドフがオクタゴンから飛び出し、観客席で喧嘩を始める前、彼はコナー・マクレガーを締め技で降参させた。
ハビブの故郷のダゲスタン共和国(ロシア連邦の一部)では、このような結末に誰も驚かなかった。現地では「格闘がすべてを決する」と言われる。住人がこの言葉を教義のように信じているダゲスタン共和国では、幼少期から格闘を始める。日々のトレーニングは、生き残りを賭けた剣闘士の戦いを思わせる。
40歳のシャミリ・アリエフが自身のキャリアで最も落胆したのは、2004年のアテネ五輪で敗れたこ とだ。若く野心溢れる格闘家だった彼は、成功に向かって突き進み、人々に大きな希望を与えていた。しかし一番大きな責任を負った舞台で敗北を喫してしまった。
14年を経た現在もなお、アリエフはオリンピックの金メダルを夢見ている。夢を託すのは自分の教え子たちだ。彼はダゲスタンで最も権威のある格闘技センター、ガミド・ガミドフ記念スポーツ学校で格闘家を育成している。ここでは子供から十代の若者、大人まで、オリンピックでの勝利を目指す者たちが、睡眠のための短い休憩を挟んで一日に何度も練習に励む。この共和国では、生活様式、家族関係、そして経済までもが、未来のチャンピオンを育てるために機能している。
「我が国ダゲスタンでは、格闘技に取り組む者を親戚も兄弟も叔父も助ける。格闘技に専念させ、頭の中を格闘技一色にさせるためだ。それ以外の道はない。ルールのない戦いでは、格闘がすべてを決する。ハビブが皆に見せつけたように」と世界ジュニア格闘技選手権のチャンピオンである23歳のサイド・ガミドフは言う。彼の父親ガミド・ガミドフはダゲスタン共和国の元財務大臣で、1996年8月にテロ攻撃のため亡くなった。故ガミドフ大臣の名を冠した練習場で、その息子が現在トレーニングを積んでいる。
アマチュア・スポーツはほとんど何の収入ももたらさないにもかかわらず、ダゲスタン人は若き格闘家らの育成に多額の金を惜しみなく投資する。家族の誰かが格闘技をしていれば、親戚一同で若き才能を育て、全面的に援助する義務がある。たとえ彼らの投資が物質面で決して実りをもたらすことがなかったとしてもだ。
「もしどこかで働くというなら、結果はもうない。結果を出すなら、この道しかない」とガミドフは話す。
比較的貧しい共和国において、実際に格闘技は国家レベル、民間レベルで多くの投資を集めている。家族の収入にかかわらず、有望な選手の親族は一致団結して彼を支える。一流の輸入車を乗り回している者も、ロシア産の「ラーダ」にしか手が届かない者も、分け隔てなく皆がスポーツに取り組んでいる。
「週に3回こうして送迎しているんだ」とランドクルーザー200を運転する男性は言う。彼はオフロード車を運転して山に向かい、アリエフの格闘技教室に通わせている息子を迎えに行く。
山中での長時間の野外特訓は平日も休日も厳格に朝7時に始まる。そのため、真剣にこの種目に取り組むダゲスタン人には、勉強や仕事の時間は実質的に残らない。
力と金、親族の支援が十分な者が、アイルランドのマクレガーを破ったハビブ・ヌルマゴメドフをUFCチャンピオンの世界レベルにまで高めたチームに入団できる。
UFCチャンピオンのハビブ・ヌルマゴメドフがトレーニングをしている2つのジムのうちの一つが、マハチカラ郊外にある。ここではハビブが所属するイーグルズMMAクラブの成人選手らが、やがて彼らに代わって活躍することになる若い選手らを育成している。
十代の選手は、イーグルズMMAで訓練を受け始めるまでに多くの経験を積んでいなければならないと考えられている。「格闘家にとって最も重要なのは、フリースタイル・レスリングで培われた土台だ。これに10~12年は割き、それから総合格闘技に移ることができる」とハビブのスパーリング・パートナーの一人である28歳のアブドゥラフマン・ギチノヴァソフは話す。
現在ギチノヴァソフは、2018年12月にサマーラで行われる総合格闘技選手権「ヴォルガの戦い」でアブドゥサマド・サンゴフとの戦いを控えており、それに向けて準備をしている。だが、自分の練習が終わると、将来総合格闘技で実力を試したいと望んでいる十代の選手らの育成のために夜遅くまで時間を費やす。
この禁欲的なジムは、ハビブの父でありトレーナーでもあるアブドゥルマナプ・ヌルマゴメドフのものだ。質素なジムの数少ない装飾の一つである大きなポスターには、ソ連フリースタイル・レスリングのマスターであり、サンボのダゲスタン代表チームのシニア・トレーナーであるアブドゥルマナプが、イーグルズMMAクラブの教え子の選手らに囲まれて立っている。別のポスターには彼の息子の姿がある。
このクラブでは、スパーリングに際してパンチのテクニックを磨く。十代の選手らの大多数が長年の格闘技の経験があるにもかかわらずアブドゥルマナプのジムにやって来るのは、まさにパンチの技術に磨きをかけるためだ。トレーニングはすぐに非常に過酷なものになる。
十代の選手らは手に非常に軽いグローブしかつけない。大多数の選手が、これ以外のいかなる防衛手段をも蔑む。ヘッドギアをかぶるのは12歳未満の子供だけだ。12歳以上の選手は皆、スパーリングが本物の殺戮現場と化す領域に足を踏み入れる。
30秒以上のトレーニングを見ていれば、必ず誰かがノックダウンするのを目撃することになる。本物の総合格闘技さながら、トレーナーはスパーリングを止めない。自分の相手を完全に倒せなかった者に怒号を浴びせるだけだ。「なぜやめるんだ! 行け! そいつは守りに入って引いているぞ、寝技をかけろ!」とギチノヴァソフが十代の選手の一人に叫ぶ。この選手は一秒後に相手の顎に見事なフックを決め、実質とどめを刺した。
ほとんどの選手がトレーナーの助言に従う。10歳の少年が、動けなくなって床に伸びた状態で横たわっているスパーリング・パートナーを殴打し続けているところを目にすることも珍しくない。より年長の選手は、トレーナーが自ら寝技の状態から再び立たせ、こぶしでの殴り合いを続けさせる。
小さなジムで戦う選手はあまりに多いため、立て続けの重いパンチで体のコントロールを失った者が、我が子のトレーニングを見守る保護者らの中に崩れ落ちることもある。
熟練の格闘家ですら衝撃を受けかねない光景だが、これはイーグルズMMAの格闘家らに鍛えられるダゲスタンの十代の選手にとっては日常のトレーニングにすぎない。しかし、まさにこの過程で、選手らには金銭的なモチベーションが芽生える。総合格闘技ではかなりの額が稼げるのだ。格闘家ら自身は金額について公表しないが、オクタゴンに一度出場すれば、数万ドルの賞金が得られると見積もられている。
「賞金で生活できる。総合格闘技をしていれば、選手は問題なく稼げる」と最低でも年に4度は試合に出場するギチノヴァソフは言う。
おそらく、才能ある格闘家を長年支え続ける親族は、まさにこうして自分たちの投資を回収しているのだろう。あるいは回収できることを期待しているだけかもしれない。皆がアブドゥルマナプ・ヌルマゴメドフのチームに入れるわけではないからだ。ダゲスタンでの競争率はあまりに高いため、故郷で結果を出せない選手らは、他国に帰化選手として引き抜かれる。こうした国々からすれば、こうすることで国際大会で少しでもメダルを取れる可能性が生まれる。
ダゲスタン人がなぜ格闘技を国技としたのかを訪ねられると、シャミリ・アリエフはこう答える。「ここの人々は血気盛んだ。子供の頃から競争を好む。思うに、これは先祖代々伝わる気質だ。」
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