シベリアやシベリアの男性たちや極寒に関するいまさら訊けない10の質問

ライフ
エカテリーナ・シネリシチコワ
 シベリア人は怖いのだろうか?なぜ彼らはシベリア人と呼ばれるのだろう?シベリアって植民地なの?それとも独立した国?いまさら訊けないこんな質問にすべてお答えしよう。

1.シベリアは独立国なの?それともロシアの植民地なの?

 いえ、シベリアは独立国でも植民地でもない。シベリアは地理的にはロシアの一地域で、住人の大部分は民族的にはロシア人だ。

  中世にこの土地に住み着いたのは、東アジアの古代国家の遊牧民たちだった。長いあいだ、シベリアの領土はキプチャク汗国の支配下にあったが、キプチャク汗国崩壊後の15世紀末になると、この地にシビル汗国ができた。

 ロシア人によるシベリアの開拓が始まったのは1581年で、19世紀まで途切れることなく続いた。モスクワの軍司令官たちは征服のために軍を送り続け、土地を支配し、彼らから年貢を徴収した。しかし、シベリアへの領土拡大が植民地化にあたると考えていない歴史家たちもいる。諸民族の併合は普通、当地のエリートとロシア人との混交へとつながるのである。

 16世紀、17世紀にはすでに、かつてシビル汗国があった場所にロシアのからの移住者たちが自分たちの都市の基礎を築いていた。

2.シベリアはどこにあるの?シベリアには境界があるの?

 地理的にはシベリアはアジアに位置している。しかし、シベリアはあまりにも広大で果てしないため、ロシア人も全員が、シベリアがどこから始まりどこで終わるのかを知っているわけではない。

  シベリアの境界線は条件的なものにすぎないが、一応、ウラル山脈(ここはヨーロッパとアジアを分ける場所でもある)に始まり、北氷洋とその近海、ロシアの極東地域に終わっている。ロシアのこの地域の南の境界は、中国、モンゴル、カザフスタンと接している。

 この全体は地図上だとこんなふうに見える:

3.シベリアの領土にはいくつの国が入るの?

 シベリアは、980万㎢もあり、ロシア全土の約 57,01%を占めている。実際、そんなにたくさんの国が入るのだろうか? フランスなら18分個がすっぽりと入ってしまうほどだ。あるいは、ドイツなら27個半。イタリアなら32個分、日本なら26個分だ。あるいは、ヨーロッパが丸ごと全部。だいたいお分かりになっただろう。

4.シベリアには人が住んでいるの?

 シベリアのかなりの部分は山とタイガ――前人未踏で手つかずの森林――に覆われている。住むことはできるが、ただし住む目的はひとつ、文明から逃れることだけだ。ある古儀式派(350年以上前にロシア正教会を離脱したキリスト教徒たち)の一家が1936年にこれを実行した。彼らは宗教的な迫害を逃れてシベリアへと逃走し、社会から孤立して生涯を送った。現在、この一家の最後の一人であるアガフィア・ルイコワだけが健在である。

 しかし、シベリア全体がこんなだというわけではない。もっと生活に適した場所には3600万人の人たちが住んでいる、ロシアの全人口の25%だ。シベリアには、10万人を超える人口を抱える都市が19もあり、そのうちの3つは100万都市だ。

5.その人たちはどうしてシベリアに住むことにしたの?

 理由はさまざまだ。数世紀のあいだにシベリアは一度ならず移民の波を体験している。19世紀前半には、シベリアでゴールドラッシュが始まった。農奴解放の後、過酷な土地問題を解決し、シベリアで新しい土地を手にするために移り住んできたのは農民たちだった。彼らには、希望するだけの土地を得ることが許されていたのである(とはいえ、この土地の質に関しては何の保証もなかった)。移住は通常、他の人たちと一緒に共同体を作って行われた。

 20世紀にはシベリアの工業化が始まり、これもまた人口に影響を与えた。そして最終的にシベリアには、コムソモールの組織に派遣された人々がやってきた:どの都市で仕事を与えるかは党が選んでいたのである。時には、もともと住んでいた場所から遠く離れていることもあった。例えば、シベリアのどこかといった具合だ。

 さらに、シベリアには数百万もの人々が流刑になったという話はおそらく聞いたことがあるだろう。これは事実で、「シベリア流刑」は人間に下される判決の中で、恐らく最悪の運命だった(銃殺を除けば)。囚人や反体制派の面々は、鉄道などのインフラ工事のために、あるいは、鉱山などもっとも厳しい労働条件の場所で働くためにシベリアに送り込まれたのである。若きヨシフ・スターリンもシベリアに6回流刑になっているが、彼はそこから5回脱走した。

 とはいえ、シベリアに住む人たち全員が流刑者の子孫というわけではない。

6.なぜシベリアはそんなにも寒いの?シベリアに夏はあるの?

 シベリアは長いあいだ、多くの人の意識の中で、極度に寒い冬、骨の髄まで滲みる風、遠く離れた僻地のシンボルとなっている。しかし実際のシベリアの気候は、ロシア西部の気候に似ており、ちょっとだけ寒さがきつく(-20度)、暑さが厳しい(+25度)だけだ。

 冬の気温が-80度にまで下がる地域もあるが、実際にはモスクワからするとさらに東のかなり離れたところにあり、どちらかといえば極東とみなされている(そこは何もかもがかなり過酷だ。この可哀想な女の子を見てみよう)。

 同様に、(ヤクーチヤのように)シベリアと呼ばれることも多い、冬の気温が-80度にまで下がるところも、実際にはかなり遠い東に位置し極東とみなされている(そこも何もかもがかなり過酷だ)。これはすべて、シベリアの地理的な境界が実際にはかなり相対的なものだからだ。時々ロシア人たちは、ウラル山脈以東にある地域をすべてシベリアと呼んでひとまとめにしてしまうことがある。 

7.シベリアでオーロラを見ることはできるの?

 北極圏はロシアの非常に大きな部分を横断している。したがって、カレリアからチュコトカ半島まで驚くほどの自然現象に出会うことができる。そこには、ノリリスク(モスクワの北東2878㎞)、あるいはタイミル半島(モスクワの北東2700㎞)といったシベリアのいくつかの都市も含まれている。ここからはロシアで最高のオーロラを見ることができる――私たちのガイドを見てみよう。

8.シベリアには首都はあるの?

 ノヴォシビルスク(モスクワの東3365㎞)はシベリア連邦管区の行政の中心として承認されている。そのため、多くの点でこの都市がシベリアの首都とみなされている。しかし、シベリアの他の諸都市――例えば、トムスク、イルクーツク、オムスクなど――の住人たちが、違う考えだということは大事だ。首都をめぐる論争はシベリア人の典型的な特徴だ。さらに、シベリアに住む人たちの大部分は、自分たちのところにこそロシアの首都が移されるべきだと信じている。「なぜそうじゃないんだ? つまるところ、ここは地理的にロシアの中心なんだから」と彼らは考えているのだ。そしてシベリアには、ガスと石油もいちばんたくさんある。

9.なぜシベリアの人たちは「ロシア人」じゃなく、「シベリア人」と呼ばれるのか?

 まあそれは、なぜロンドンの人たちのことを英国人と呼ばないのか、ベルリンの人たちのことをドイツ人と呼ばないのかというのと同じ理由からだ。でも彼らが彼らであることに変わりないのだが。

 シベリア人たちはしばしば、厳しい環境で生活し、働いていることがある。そのため彼らには徐々に、ロシアのヨーロッパ部分に住む人たちとは少し異なるメンタリティが育ってきたのだ。シベリア的性格や「シベリア的健康」というのは、不屈でストレスに強く、荒っぽいことを意味している。この人たちは自分のエネルギーを無駄には使わないと思われている。彼らは言葉も行動も分かりやすく、非常に一本気だ。本人たちが自分たちの性格をこんなふうに言っている:「うちは大家族だが、俺たちは全員違っている。だけど俺の兄弟の一人は典型的なシベリア人だ…。そいつは、なぜなのかとか、どんなふうにとか説明なんかしないよ。それよりは面をぶん殴るのさ」。

10.シベリア人たちは本当に荒っぽい人たちなのか?

 部分的にはそうだし、部分的には違う。時代は変わってきており、今日ではシベリア人もサンクトペテルブルクの人たちと異なる点などほとんどないかもしれない。例えばほら、こんなふうに考えているユーザーもいる:「今では、シベリアの街にもロシアの他の地域と同じようにひょろひょろした人たちがいる! 健康というものは、新鮮な空気の中での健康的な食事と仕事から得られるものだ! でも今は、一日中オフィスの自分の席で背を丸めて過ごし、その後で缶詰の食べ物をがつがつと食べ、生涯ずっと排気ガスを吸っているんだから」。

 概して、典型的なシベリア人の肖像がここにある。彼らがどんな人たちで、彼らの生活が何に似ているのか想像してみよう。