タイガで人知れず数十年間隠棲:いかにルイコフ一家が全国的に有名になったか

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アレクサンドラ・グゼワ
 彼らは、秘密警察に追われ、長年にわたり大森林に隠れていた。やがて、1人の女性を残して全員が死に絶えると、彼女は人々の前に姿を現し、接触しようとした。だが、彼女にとって満足のいく関係は生まれず、彼女は再びタイガに戻った。

 麻で織った服、白樺の樹皮で編んだ靴。火は火打石で起し、夏は危険な野生動物が周囲を徘徊し、冬は厳寒と腰まで積もる雪…。いかなる文明の恩恵もない。最寄りの集落までは250㎞もある。

 今から40年前、ソ連の地質学者たちが、僻遠のタイガの周りをヘリコプターで飛んでいたとき、アバカン川の上流の無人地帯に、菜園を見つけた。そして森に、父親と成人した子供4人からなる、分離派(古儀式派)のルイコフ一家が住んでいることが分かった。長年にわたり、彼らは現代世界から切り離されていたが、新聞記事で一夜にしてソ連全土で、その存在が知られるようになった。

 その数年後、1982年に、コムソモリスカヤ・プラウダ紙の記者、ワシリー・ペスコフがこの隠者たちのもとへ赴いた。彼は5人家族に会えるものと期待していたが、そこにいたのは父親カルプと娘アガフィア(74歳で存命)、それにまだ新しい3つの墓だった。アガフィアの2人の兄、そして姉が次々に亡くなっていた。1988年に父カルプも死亡し、アガフィアだけが森に残ったが、彼女は生活の在り方を変えようとはしなかった。

悪しき文明

 長年ペスコフはルイコフ家を訪れ続けた。援助の手を差し伸べ、台所用品、薬品、さらにはヤギまで持ってきた。隠者たちが新鮮な乳を飲めるようにと。

 今ではペスコフも故人となったが、彼はアガフィアとの最後の面会の1つで、あなたの一家が人々に「発見」されたことはあなた方にとって果たして良かったかどうか、と聞いた。彼女は、神が人々を自分たちのもとへ遣わしたと思う、と認めた。人々がやって来なければ、自分たちはずっと前に死に絶えていただろう、と。

 「何という生活だったろう。すっかり着古し、履き古し、つぎはぎだらけ。草や樹皮を食べた。思い出すだけでも恐ろしい」。アガフィアの言葉をコムソモリスカヤ・プラウダ紙が伝えている。

森のロビンソンたちはいかに有名になったか

 ペスコフは何度かルイコフ家と会った後で、一連の記事を書いた。この隠者の物語は多くの読者の心を捉えた。ルイコフ家に関する記事が出るたびに、新聞の売店には長い行列ができた。

  ペスコフが友人たちに話したところによると、ソ連の指導者レオニード・ブレジネフの妻は、朝、新聞の売店に特別に人を遣り、なるべく早くコムソモリスカヤ・プラウダを買わせたという。彼女は、シベリアの隠者の“サガ”の続きを読むのが待ち切れなかった。その後、ペスコフの記事は一冊の本『タイガの行き止まり』にまとめられ、多くの言語に翻訳された。

ルイコフ家が森の奥深く逃げ込んだわけ

 ロシアの全国各地で、帝政時代から今日にいたるまで、宗教的信念により逃亡し隠れた人々が多くいた(いまだにときどきメディアはそうしたケースを報じている)。ロシアの分離派教徒たちは、常に迫害されてきており、それが止んだのはようやく、ロシア最後の皇帝、ニコライ2世の治世のことだった。だがロシア革命の後、ソビエト政府は、以前にもまさる勢いで迫害を始める。集団農場に強制的に入れたり、投獄したりした。

 農業集団化が始まると、ルイコフ家は森の奥深くに逃れ、自然保護区にたどり着いた。ところが、1930年代に入ると、保護区は、狩猟と釣りを禁じた。

 そんなとき、分離派は密猟をしているという匿名の告発がなされた。保護区の警備員はこれを確かめにやって来たが、その際にカルプの兄弟を誤って撃ち殺してしまった。そして、捜査当局には、あたかも分離派教徒たちが武器を取って抵抗したかのように報告した。

 1937年、スターリンの大粛清の最悪の年、ルイコフ家のもとへ秘密警察「内務人民委員部NKVD」(KGBの前身)の職員が訪れ、詳細な尋問を始めた。一家は逃げねばならぬことを悟った。以来、彼らは、いよいよタイガの奥深くに入り込み、住居を絶えず変え、痕跡を消した。

時の人となったアガフィア

 現在、アガフィアは74歳になるが、すでに30年間、森に一人で住んでいる。彼女は1990年にたった一度、人々の中に戻ろうとしたことがあった。分離派の修道院の礼拝堂で暮らすようになり、修道女にもなった。この分離派は、聖職位階の存在を認めない無司祭派(無僧派)だったが、やがて、アガフィアは、自分の信仰とは異なることを悟り、もとの住まいに帰っていった。

  2011年、分離派の公式の代表者たちがアガフィアを訪れ、然るべきすべての規則に従って洗礼を施した。

 地元の政府当局はアガフィアを助けている。ケメロヴォ州のアマン・トゥレーエフ知事は、隠者に必要な援助をすべて与えるよう指示した。彼女への関心は年々高まっており、テレビの撮影チーム、ジャーナリスト、医師、ボランティアなどが訪問している。

 2015年には、レベッカ・マーシャル監督率いるイギリスの映画撮影チームがアガフィアのもとへやって来た。彼女の生涯のドキュメンタリー「私の中の森」を撮影するためだ。

 アガフィアは、孤独を魂の救済の主たる方法と考えている。しかし彼女は、自分を独りぼっちとは考えていない。「すべてのキリスト教徒のそばには、いつでも守護天使、そしてキリストと使徒たちがいる」。隠者はこう考えている。