「この訪問団は計28人からなり、サハリンの州都ユジノサハリンスクの名誉市民である日本人、宮西豊(みやにし・ゆたか)さんがかつて飛行したルートをたどって行われた」。ロシア通信は、ユジノサハリンスク空港広報部の発表を伝えている。
今回の飛行目的は、ひとつには宮西さんの航路を再現すること。宮西さんは1992年8月28日に、この航路により初めて北海道・サハリン間を飛び、当地の名所旧跡を訪れ、ロシア極東の料理を知った。
訪問団は、宮西さんを表敬訪問した。宮西さんは、サハリンに移住して30年近くなり、ユジノサハリンスク市の名誉市民。訪問団には、宮西さんに共感する人や教え子が含まれている。彼らは、日本航空機操縦士協会の会員だ。
宮西豊さん
ユジノサハリンスク空港宮西さんは26年前に独自のルートで飛行し、新たな航路を開いた。現在、サハリンから日本への飛行は、この航路で運航されている。
「宮西さんによると、祖国日本で慈善事業を積極的に展開していたが、サハリン州の孤児院への人道的援助と支援も行おうと思い立った」と、ユジノサハリンスク空港広報部は述べている。
「今回の飛行は、サハリンと北海道の友好の架け橋。今の時期に計画されたのは理由がある。2018年は露日交流年。『ロシアにおける日本年』及び『日本におけるロシア年』が相互に開催されている。私たちは、友好関係を飛行でさらに強固なものにしようとした」。宮西さんは飛行の動機をこう説明している。
日本からの訪問客は、7月6日にロシアを訪れ、8日に帰国した。彼らは、レシプロ軽飛行機の「パイパー PA-46」、「ビーチクラフト ボナンザ」、「ソカタ TBM」でサハリンに飛来した。
宮西豊さんは元来は作曲家で、代表作に「函館ブルース」がある。1991年からサハリンに移住し、慈善事業を含む他面的な活動を行いながら、地元の人気のレストラン「ふる里」を経営。2008年に、ユジノサハリンスク市名誉市民となる。
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