ロシアの犯罪王列伝:悪名高い4人のマフィアとその末路

David Cronenberg/Focus Features, 2007
 彼らはゆすり、恐喝、盗み、暴力等々により強力な犯罪帝国を築いた。しかし、彼らが強大になればなるほど、転落、末路も急転直下で、悲惨だった。

 ロシアの犯罪文化には特殊な面がある。泥棒仲間から、「ヴォール・ヴ・ザコーネ」(規律ある泥棒)という称号を奉られた大泥棒がいる。彼らは、犯罪界の上位を占め、厳格な規律(当局と連携や協力をしない)に従い、仲間内で最大の敬意を表され、大きな権限をもった。

 実際にその「規律」に従う者はほとんどいないが、少なくともそれに従うふりをしなければ、犯罪エリートにのし上がることはまず不可能だ(「規律」は、犯罪用語で「ponyatiya」。この言葉は、本来は理解、観念という意味で、ふつうに使われる))。

 ソ連崩壊後の1990年代になると、ロシアの犯罪界は、「娑婆」と同じく混乱していた。若く情け容赦ないギャングたちは、既成の権威である「規律ある泥棒たち」に挑戦。老若のギャング、犯罪集団は縄張り争い(ロシア語で「razborki」)を繰り広げ、多くの者が死んだ。

 ここに、最も悪名高いロシアの4人のマフィアをご紹介する。3人は既にこの世になく、もう1人は「塀の向こう」にいる。

1. セルゲイ・ティモフェーエフ(あだ名は「シルヴェスター」)

 セルゲイ・ティモフェーエフ(19551994)のシルヴェスターというあだ名は、彼がランボー」と「ロッキー」のファンであるところから来ている。モスクワ南部のオレホヴォ地区に拠点を置き、同市で最も影響力の強い犯罪集団を率いていた。

 1990年代初め、彼のキャリアのピーク時には、30以上の銀行と同市のすべての市場を支配下に置き、その財産は数十億ルーブルと数えられた。元トラクター運転手で、頭が切れた。

 ティモフェーエフはしばしば、「モスクワ犯罪界のCEO」と呼ばれた。90代の犯罪者の新世代に属し、「規律」や泥棒の仁義をせせら笑った。

 「彼は『規律』を受け入れなかった。彼には必要でなかったからだ」。元内務省の幹部で政治家、法律家のアレクサンドル・グーロフ氏は言う

 実際、「シルヴェスター」の「兵隊」は極めて暴力的で、躊躇せず子供を拷問したり殺したりした。

 ティモフェーエフは非常に多くの敵を抱えていたので、誰が1994913日に彼が乗っているベンツを爆破したのか不明だ。実は彼は、死を偽装し、金を持って高飛びした。そして、彼の後釜をめぐって他のマフィアたちが争うにまかせたという噂もあった。

2. ヴャチェスラフ・イワンコフ(あだ名は「ヤポンチク」、つまりチビの日本人)

 セルゲイ・ティモフェーエフ(シルヴェスター)とは違い、「ヤポンチク」こと、ヴャチェスラフ・イワンコフ19402009は、古い世代の「規律ある泥棒」だ。彼は、1970年代に企業を恐喝した最初の犯罪者たちの一人だった。

 彼の権威は大変なもので、ヤポンチクは、いわゆる「オブシチャク」(泥棒の共通基金)を管理していた。これは、大泥棒中の大泥棒だけがもつ特権だ。

 司法当局は、ヤポンチクの成功をもちろん歓迎せず、彼は1980年代を通じて投獄されていた。釈放されたのはようやく、ソ連が崩壊した1991年。

 娑婆に出た彼は、スラヴ系とカフカス系のマフィア抗争に参戦した。しかし1年後、彼は新規まき直しをすることに決め、ロシアを去り、アメリカに渡った。

 だがもちろん、アメリカもヤポンチクを歓迎せず、1995年から彼を9年間投獄した。

 「アメリカ人たちは、ありとあらゆる犯罪のかどで俺を非難した。だが俺は、自由の女神をレイプしようとか、パールハーバーを爆撃しようとかいう気はなかった!」。ヤポンチクは不平を並べ立てた

 2004年に釈放されると、ロシアに戻って、「規律ある泥棒」の長老的立場を再確認し、他の大物マフィア、「ハサンじいさん」と連合した。だが、2009年に彼は、モスクワの中心部でスナイパーに撃たれ、そのキャリアは突然終わった。

3. アスラン・ウソヤン(ハサンじいさん

 犯罪問題の専門家の多くは、2000年代後半〜2010年代初めにロシアの犯罪界を支配したのは、ヤポンチクではなく、ハサンじいさんこと、アスラン・ウソヤン(19372013だったと考えている。「ハサンはイワンコフ(ヤポンチク)を実権をもたぬ象徴に変えた」。犯罪に関する情報サイト「PrimeCrime」は指摘する

 何十年にもわたり、ハサンは犯罪界の真のゲームチェンジャーだった。彼はグルジア(ジョージア)出身のクルド人で、「規律ある泥棒」たちの間での評判はいかがわしかった。多くの者が彼を、「規律」に従わず勝手気まますぎると考えていた。その彼は、ライバルたちを残酷な抗争の仕方で打ち負かしていく。

 「例えば、オガノフ兄弟が支配しているビジネスを奪い取るために、約150人が殺されている」と「PrimeCrime」が書いている

 ハサンは、犯罪界を鉄の剛腕で支配した。敵同士を争わせ「分割統治」するという手法を成功させていった。高齢にもかかわらず、引退する気はさらさらないことを示しており、実際、引退はしなかった。2013年に突如、彼の人生の幕を閉じたのは、スナイパーの弾丸だ。まさしく青天の霹靂だった。確かに、犯罪王たちは、平和に死ぬには、罪業を積みすぎているようだ。

4. タリエル・オニアニ(タロ)

 ヤポンチクとハサンじいさんの暗殺を誰が依頼したかはまだ不明だが、主な容疑者はグルジア(ジョージア)出身の有力な「規律ある泥棒」、タリエル・オニアニ(タロ)だ。

 ニュースサイト「極秘(SovSekretno)」によると1990年代に、彼とハサンは、スペインでのマネー・ローンダリング・ビジネス構築で協力したという。「この資金洗浄システムは成功し、ロシアの他の犯罪集団も使用した」

 しかし、2005年にスペイン警察は、この闇ビジネスを摘発。タロはロシアに戻ったが、彼の利害は、ハサンおよびヤポンチクのそれとぶつかった。この抗争に勝ったのはハサンで、おまけにタロは、2009年にゆすりと誘拐の罪で、懲役10年を宣告される。

 「タロは逮捕される時までに、ほとんどハサンくらいの権威をもつに至っていた」。ニュースサイト「Rosbalt」は指摘する。だがハサンは、タロをやっつけるためにできるかぎりのことをやった。

 2009年、ハサン、ヤポンチクとその連合勢力は、タロを「尻軽女」とみなし、それに基づいて行動することを要求する手紙を、刑務所で服役中のすべての「規律ある泥棒」に送った。

 にもかかわらず、タロは生き延び、現在、彼の刑期は終わりに近づいている。そして彼の敵は2人とも既にこの世にない。

 もっとも、彼は別の問題に直面している。釈放後、彼は、スペイン当局に引き渡され、再び収監されかねないからだ。

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