ロシアの最高齢者:どんな人がどんな風に長生きしているのか?

タンジリャ・ビセムベーエワさん

タンジリャ・ビセムベーエワさん

ドミトリー・ログリン/TASS
 バターと甘い紅茶が好きで、50歳を超えて出産し、薬を飲まず、20人ものひ孫を持ち、3世紀をまたいで生きた、そんな人々。

タンジリャ・ビセムベーエワ 122

 今から数年前、アストラハン州の田舎にある小さな村イスラムガザ(モスクワの南およそ1,400キロ)がロシアのあらゆるニュースで取り上げられた。この村に住むカザフ人女性、タンジリャ・ビセムベーエワさんが120歳の誕生日を祝ったのである。現在、彼女は122歳だ。

 タンジリャさんは1896年、帝政ロシアに生まれた。彼女の最初の夫は大祖国戦争中、前線で戦死し、2人の子どもは幼いころに亡くなった。終戦を迎えたとき彼女は49歳、家族もなく、子どももなかった。しかしまもなくして、年老いたカザフ人から結婚の申し出を受けたタンジリャさんはその男性と結婚、子宝にも恵まれ、53歳、54歳、57歳のときに男児を出産した。しかも彼女は家で出産、親戚の話によれば、100歳まで医者にかかったことがないそうだ。

 「母は人生で多くのものを見てきました。ラスプーチン時代からプーチン時代までを生きているのですから。母はずっと働いてきました。スイカやメロン、かぼちゃなど、いろいろな畑で」。そう語るのは息子のシンタス・ビセムベーエフさん。

 タンジリャさん家族のメンバーの年齢差はなんと119歳。現在、彼女には10人の孫、24人のひ孫、そして2人の玄孫がいる。彼女はもう外出することはなく、家の中でしか移動していない。世界情勢に興味があり、自然食品だけを口にする。ちなみにアストラハン州では、公式統計で100歳を超えた高齢者がまだ71人いる。

 

アッパズ・イリエフ 122

 1896年生まれのもう一人の高齢者はイングーシ共和国のアッパズ・イリエフさん。彼の住むグリ村は標高の高い山の中にあり、アッパズさんは生まれてから一度しか山を降りたことがない。甥のアフメトさんによれば「白衛軍との革命のとき、戦いに参加するために山を降り、大祖国戦争の前線へと向かったのです。しかし彼は前線からカザフスタンへと召還されました」。

 アッパズさんはその長い人生において一度もタバコを吸ったことがなく、アルコールを試したこともない。自分の菜園で採れた野菜と新鮮な乳製品、極めて新鮮な肉しか食べず、飲むのは井戸水だけ。ちなみに彼の歯はすべて自分のもので、いかなる薬も飲んでいない(予防接種だけは受けているという)。

 アッパズさんには子どもが8人、孫が33人、ひ孫が34人いるが、すでに2人の妻を亡くし、3人の子どもを失った。5年前まで馬に乗り続け、家畜の世話をしていた。現在は草を刈り、スコップを杖のようにして肥料を処理している。アッパズさんに人生で得た一番の教訓は何かと訊ねると、「人の中の良い部分を見れば、人間はより良い存在になっていくこと」と話してくれた。

 

ナヌ・シャオワ 127

 現在、ロシアで最高齢の女性である。しかし実際には彼女のパスポートには誕生日は1890年0月0日と記されている。19世紀、出生証明はなく、パスポート交付のときには正確な誕生日を誰も覚えていなかったからである。

 カバルジノバルカル共和国出身のナヌさんが125歳の誕生日を迎えたときには、ウラジーミル・プーチン大統領も彼女を祝った。2018年3月、ナヌさんは大統領選挙で投票を行ったロシアの最高齢者となった。投票を放棄した人たちに対し、彼女は「誰もが意識的かつ責任を持ってこの選挙に行くべき。自分たちの一票で何も変わらないと考えるのは間違い」と語った。

 ナヌさんには5人の子ども、14人の孫、21人のひ孫がいる。彼女は生まれたときからザユコヴォ村に住み、地元のコルホーズで働いた。最初の夫は前線で戦死、2人目の夫は1982年に亡くなった。孫たちが言うには、ナヌさんはキャンディとバター、甘い紅茶が大好きで、アイラン(ヨーグルトと水と塩を混ぜた飲料)を好んで飲んでいる。ただし夕方6時以降は何も口にしないという。彼女は今も自分の足で歩き、耳もよく聞こえるが、視力だけは弱ってきているのだそうだ。

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