貴重かつ希少なエスティ・ローダーの頬紅やクリスチャン・ディオールの口紅を求めて、行列に何時間も並ぶ人もいた。これらの化粧品は時に、半月分の給与に相当するほど高額であった。購入の機会のない人や金銭的に許容できない人、すなわち普通の市民は、ソ連製品を使った。驚くかもしれないが、いまだにソ連の化粧品の一部は生産されている。ソ連時代から現代を通して人気の化粧品7点を特集する。
「レニングラーツカヤ」マスカラは、ソ連女性の化粧ポーチに必ず入っていた。小さな箱の中に、固形マスカラとブラシが入っている。ブラシで固形マスカラをこすり、次にブラシを水で濡らす(実際のところ、水の代わりにつばをはきつける人もいた)。濡れたブラシは固まりのようになるため、針ほどの細い棒でほぐす。現代のようなボリューム・タイプやカール・タイプのマスカラはただのあこがれ、夢であった。
なぜいまだに人気なのだろうか。箱とブラシという他にはないマスカラであること、使い勝手が良くて、安いことが理由だ。
1981年、「スヴォボダ」工場がソ連初のファンデーションを製造した。クリーム・タイプのファンデーションで、種類は1色のみ。厚ぼったくマスクのようになってしまうため、夜のイベントがある時に塗る人が多かった。ファンデーションの選択肢は限られていたため、これを購入していた。現在、製品は改善され、販売されている。
ヘアスタイルを文字通り固定するハードスプレーで、カールが3日ほどもった。くっつきやすい、独特なにおいがある、といった短所にもかかわらず、ボリュームのあるヘアスタイルが流行した1980年代は一番の人気商品だった。ロシア語では、「ヘアスプレーで前髪をセットする」というフレーズがあり、ヘアスタイルを整えるプロセスを意味している。
今日、プレレスチは改善され、ロシアで最も人気の高いヘアスプレーの一つである。
モスクワの「ラッスヴエト」工場は、「エレーナ」コスメ・キットを生産していた。長方形の箱に入った2種類の色合いと魚形の箱に入った3種類の色合いの製品があった。大きなコスメ・キットはソ連のどのような女性にも合うものだった。
バイオレット、エメラルド・グリーン、ブライト・ブルー、トキシック・ピンクなどのパール入りの派手なアイシャドウだった。その後、ラッスヴエトは、ベージュ系や中間色のキットの生産も始めるようになった。
ソ連後期、ポーランドから「ルビー・ローズ」アイシャドウも輸入されていた。これは色彩が豊富で落ちにくいため、人気商品となった。おしゃれな人は、イタリアのプーパの大きなコスメ・キットをほしがった。エレガントな赤い楕円形の箱には、アイシャドウや頬紅が入っていた。
クラスナヤ・モスクワはソ連の伝説的な香水で、女性の間でとても人気が高かった。モスクワの「ノヴァヤ・ザリャ」工場が1925年に生産を始めた。一説によれば、ロマノフ家300周年の記念品として1913年につくられた香水「女帝お気に入りの花束」をベースにした香りなのだという。クラスナヤ・モスクワがシャネルNO.5の香りと似ているという人もいる。
現在でも、同じ工場でつくられている。ファンは多い。
ソ連時代、薬用リップは生産されていなかったため、女性は別のもので唇を風や寒さから守っていた。それがワセリンである。唇がツヤツヤになり、乾燥から守ってくれるスグレもので、どこの薬局でも売られていた。「ノルカ」ワセリンは普通のワセリンの2倍ほどの価格であったが、効果が長持ちした。
ワセリンは現在でも多くのリップのベースであり、薬用リップの代用として使われている。
ソ連には天然成分の質の高いクリームがたくさんあった。中でも「ジェツキー」は一番人気であった。低刺激性で、良い香りがし、肌をやわらかくした。1950年代に生産が始まり、現在でも人気が高い。
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