ソビエト治安トップに平手打ちをした女優、その後の運命は?

歴史
ゲオルギー・マナエフ
「別の妻を見つけてやろう」、妻の女優エフゲニア・ガルクシャを探し求めたピョートル・シルショフに与えられたスターリンのこの発言はこれだけだった。

 ピョートル・シルショフの妻、エフゲニア・ガルクシャは、1946年7月28日、かつてのソビエト内務大臣で秘密警察「内務人民委員部」(NKVD)の長官ラヴレンチー・ベリヤに公然と平手打ちをした後、消息を絶った。

 女優エフゲニア・ガルクシャは映画界の新星だった。初出演した映画で成功した後、彼女は、海運人民委員(大臣)のピョートル・シルショフと結婚した。だが1946年に、それらはすべて崩れ去った。

 ベリヤは、スターリンの死後に逮捕され処刑されるが、当時は泣く子も黙る、恐るべき存在だった。おまけに彼は非常な漁色家であり、気に入った女性を手に入れるためならあらゆる手を使った。

 彼がエフゲニアにある種の破廉恥な提案をすると、女優は人々の面前でベリヤに平手打ちを食らわした。2週間も経たぬうちに、彼女はスパイと亡命の容疑で告発された。強制収容所で「たった8年」の懲役を宣告された。

 1948年、エフゲニアは、極東のマガダンの強制収容所で致死量の鎮静剤を飲んで命を絶った。同年、彼女の夫は大臣の椅子から追われ、1953年に癌で亡くなった。エフゲニアは、死後の1956年に名誉回復されている。

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