1953年のロシア(写真特集)

歴史
ロシア・ビヨンド
 70年前のソ連の姿を鮮明に写し出すさまざまな写真を見てみよう。個人崇拝の対象だったヨシフ・スターリンがこの世を去った年だ。

195335日の夜、「人民の指導者」と称されたヨシフ・スターリンがこの世を去った。

36日早朝、スターリン死去のニュースが国内で伝えられた。写真はラジオで訃報を聞く工場労働者たち。

36日、労働組合会館で大規模な告別式が行われた。会館内にスターリンの遺体が納められた棺が安置され、弔問に訪れる人々が列をなした。この告別式は三日三晩続いた。

スターリンの棺の側で儀仗兵とともに栄誉礼に立つロシア正教会府主教ニコライ。

39日、モスクワでスターリンの葬儀が執り行われた。棺を見送るためモスクワ中心部に殺到した群集による大量圧死事故という悲劇でも有名だ100人以上が亡くなったとされているが、これは「公式発表」による数字に過ぎない。

91日、セブン・シスターズと呼ばれるモスクワ市内にあるスターリン様式高層建築のひとつであり、スターリン時代の最後の遺産であるモスクワ大学本館が完成した。

この年、外務省本庁舎の建設も終わりを迎えようとしていた。

新しい地下鉄アルバーツカヤ駅も同年開業した。

アルバーツカヤ駅の外観。

1954年、地下鉄キエフスカヤ駅内のモザイク画もようやくその姿を現した。

 グラーグ(強制収容所)から解放されたばかりのアレクサンドル・ソルジェニーツィン。しかし、すぐにカザフ・ソビエト社会主義共和国へ追放されることになる。強制収容所の上着を着た姿で撮影された写真。

新モデルのワトニク(暖かい綿入りジャケット)。

ラジオに聴き入る子どもたち。 

「みんな、選挙へ!」

「うーん、何がいけないんだろう?」

レーニン図書館の図書閲覧室。

みんな勉強に忙しい。パパでさえも!

体操選手の見事な跳躍。

レニングラード(現サンクトペテルブルク)、ピョートル大帝の「青銅の騎士」像の前で写真撮影をする家族。 

ロシア北部のコルホーズ(集団農場)で使用されていた未来的なデザインの穀物乾燥機。 

コムソモール(共産青年団)の団員が、原生地開拓のため近々アルタイ地方へ出発する喜びを噛みしめる。当時、これはまたとないチャンスだった!

食事の前に手を洗う幼稚園の子どもたち。

夏。友。青春。

育てた蜂を誇らしげに見せる養蜂家。 

校内放送に忙しい女生徒たち。

エンジニアリング・クラブで生徒を指導する教官。 

スターリン国家賞を受賞した機械建設工のイワン・カルタショフ。

モスクワで行われたメーデーの行進。

戦死した兄に敬意を表する兵士。 

カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)はソ連領となって間もなかった。写真はイマヌエル・カントの墓を訪れる観光客。 

2次世界大戦時から1954年まで、男女別学の学校があった。

ソ連製の自動車「モスクヴィッチ400」の組み立て工場。

モスクワのグム百貨店の改装工事。